ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

高校国語をめぐるあれやこれや…

最近、これが発売になった。

 

 

学習指導要領を作った人間が編著者なので、ある意味でこれが一つのスタンダードとして想定しているのかもしれないという実践が多く紹介はされている。

微妙に歯切れが悪いところに、全面同意とはならない気持ちが紛れ込んでいることをお察しいただければと思う…。

まだ全体は読んでいない

書評を書こうかと思っていたものの、一つ一つ精細に掘り下げる気力がイマイチ沸かない。正直、高校国語をめぐる議論にうんざりとしている感じが強い。また、「現代の国語」に文学的文章を抜け道のように掲載し、それに迎合する立場が多いことに怒りを通り越して、ひたすら徒労感が……となっている。

 

www.s-locarno.com

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もう、何も言いたくないと思うくらいにはうんざりしている。

また、「論理国語」の副教材、サブノートのような副教材に「山月記」や「こころ」の本文を掲載するような出版社が出ており、姑息なやり方を押し通そうとする現場にも、それを助長して金を稼ごうとする教科書会社にもげんなりしている。

高校の国語科は一度厳しく「履修漏れ」になっていないか監査でもされた方が良いんじゃないかと毒づくくらいには酷いと思っている。

まあ、そういう気持ちがあるのだが、だからといってこの本の実践に諸手を挙げて賛成なのかというと……微妙に反応に困ることがあり、読み進まない。そのため、しっかりとした書評をかける気がせず、こうして中途半端に書き始めている。

高校の苦しさ…

自分がこの本の提案にイマイチいいなぁと思い切れない理由の一つが、相変わらず「定番教材」の影が強いことである。

なんだか結局、「定番教材の特色を活かすための新しい授業」のように見えてしまうので、一つ一つの提案の新規性や丁寧な見取りのための工夫などに対するフラットな評価よりも、結局、本質的にはコンテンツありきなのが高校なのかという気分がしてくる。

また、「高校」は一口に「高校」と言っても、受験の影響もあり、生徒の実態が様々なである。だからこそ、実践は抽象的に語られがちなのだけど、その抽象度が読みにくい感じがする。

なんとも言い難い、違和感が小骨のように残るのである。

世間への反論があるが…

これだけ世間を賑わした、高校国語をめぐるあれこれ。

それらの議論の中で比較的、耳目が集まったことに対して、大滝氏の反論というか弁明というか皮肉というか、そういうものが書かれている。書きぶりがこんな塩梅である。文学的な文章が「現代の国語」に掲載されたという件に関しての意見である。

一科目の指導について、こうした事務連絡が示されるのは異例と言えるが、それだけ世間の関心を集め、高校国語の指導計画や授業そのものが注視されていることの証左の一つといえるかもしれない。公教育を担う学校として、適切な対処が求められるため、十分留意していただきたい。

周知のこととは思うが、文学的文章を読むことが自己目的化され、どの科目のどの時間でも取り扱いたいと主張するのは、科目の性格や育成を目指す資質・能力との関係で適切でないばかりか、法規としての性格を有する学習指導要領の規定に反するものと言わざるを得ない。(PP.21-22)

 

一方、選択科目については(中略)「文学国語」を選ばないとする論調が多くみられた。この点についても、そもそも統計的なエビデンス(高等学校は多様であるため、統計結果の評価も困難と予想されるが。)も示されておらず、また、選択主体が学校(自由選択科目の場合には生徒自身)である以上、学習指導要領自体を問題視すべきかは疑問である。(P.23)

 

定番小説教材は大切だが、その学習の有無がすぐさま人の気持ちを理解できない生徒を生むか否かを左右するかどうかは分からない。高校国語の授業は重要だが、高校生の人格や教養は、学校教育においては、そもそも教育課程を構成する多くの教科・科目等の学習の総体でその育成が目指される(P.204)

 

と、まあ……こういう塩梅で所々で述べられている。

自分も概ね「コンテンツを重視して文学を教えるという発想からは脱却すべき」、「教員の好き勝手に教えることを選んでよいものではない」、「新しい時代や生徒の実態に合わせて授業を常に新しく改善してつくり出していくべき」という意見である。

しかし、こういう書きぶりで書かれてしまうと……自分が一番よくわかっているという立場から正論で殴るとこうなるのだろうか、という感じがする。

もう少し議論が炎上している時に同じことを多くの耳目が集まる場所で主張していたらどうなるだろう?

まあ…イマイチ賛成しかねるのである。

微妙な感覚

どうも、高等学校の議論は疲れる。

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