教員はいつだって精神的に安定していることが求められる仕事だろうと思う。情緒不安定でキレどころが分からない人に教わることほど恐ろしいことはないし、安心安全が確保できない教室では豊かな学びは難しいだろう。
人間だもの
いくら安定していなければならないと分かっていても、人間だもの。安定していられないタイミングはいくらでもくる。
体調だって悪くなるし、機嫌が悪くなることだってある。
しかし、職業倫理としてできるだけ安定した状態で生徒には向き合いたいものである。生徒を叱るときは感情的になったら明らかに失敗であるし、感情的な指導ほど無駄なものはない。
安定して的確な指導を行うためには、できるだけ自分の波を小さくして生活することを目指したいものである。
波を小さくするためには普段から自分のメンテナンスは大切である。だから、当たり前のように残業をしている学校の文化はよくないし、自分の時間をちゃんと持てるような生活をしなければならないと感じる。
受け止めるために
生徒も保護者も色々な面で思い悩む、生きづらい社会である。
学校の仕事がどこまでか、ということには難しい判断があるものであるが、少なくとも子どもたちをめぐる様々な出来事を受け止めるためには、自分に余裕を常に持っておきたいところである。
余裕がない生活は、余裕のない反応をしてしまう。
その反射的な失敗が、生徒や保護者にとって致命傷になるかもしれないという緊張感と、常に向き合って仕事している気がする。