授業については何だからICTだとかアクティブ・ラーニングだとか流行を追いかけているような姿を見せてばかりの自分ですが、学級運営は保守的な仕事の仕方をしているなと思うのです。
教室が整っているということ
生徒の自主性や自覚を育てるのであれば、教室の整備は生徒に任せるべきだ。
その理屈はよく分かっている。
しかし、自分はそれを分かった上でも教室は隅から隅まで生徒の登校前と生徒の最終下校後に自分で整えて、問題が無いかを確認する。
掃除が甘ければ自分で掃除をしてしまうし、机の整理整頓は当たり前にやってから帰る。
理由は単純に汚い環境は勉強に向かない。自由に身動きを取って勉強できなくなる。自由闊達に勉強するためには教室が整っていないと無理だ。
また、教室環境が荒れることで落ち着かなくなる生徒が出てくる。誰一人として居心地の悪さを感じさせないための手間は、少し無理をしてでも自分は習慣として続ける。
地道に整理整頓をしていると、生徒も空気を読んでくれるから割と綺麗に使ってくれますけどね、教室。教員が大切にしていることをいい加減にするほど、生徒は悪辣ではない。
続ければちゃんと伝わる。
地道に話す
放課後に職員室に根付いていても仕方ないので、教室にできるだけ長く残る習慣を持っている。フラッと色々な教室に残っている生徒に声をかけつつ、なんとなくいつもいるという感じで過ごしている。
まあ、生徒からすれば鬱陶しいことこの上ないかもしれないが、地道に生徒の過ごす場所に入っていくことで、見えてくることはある。フィールドワークみたいなことやっているなとふと思ったけど(笑)。
勤務時間にはやることは山ほどある。だから合理的に考えるならば、さっさと職員室に戻って書類仕事をした方がいい。放課後に勤務時間内に仕事が出来るのは一時間半くらいなものだ。教室で遊んでいる暇はない。
ただ、なんとなくそこに居るということを続けていると、生徒の関心だとか心の波だとかがなんとなくわかる。そういう肌感覚で捉えているものを大切に授業を作る。
そんなことをやっているからいつまで経っても授業が出来ないし、退勤時間を過ぎてから仕事を始めるから、残業も増える……。
ただ、生徒の姿が見えないのが不安なのだ。そうやって教育実習の時に教わって、そういうことを繰り返してきたから。
こういう不安を手放せないのも、きっと自分が保守的なラガードだからだろうと思う。
教員として、なかなか成長できないで同じ所をぐるぐるしています。