探究学習は多くの先生の頭を悩ませる原因である。
こういう本を読んで「こんなことできない」とお手上げになってしまう先生は少なからずいる。
しかし、実際の高校生の探究はもっと地に足のついた、自分たちの身の回りにあることでよいのである。
探究本はいっぱいあるけれど
ここ数年で探究のために参考になる本は増えている。
だいたい書かれている内容もパターン化されてきていると感じる。何冊か読めば、自分の学校に合わせてどのような展開をすればよいかという見通しが持てるようになってくる。
要するに時間をどれだけ準備にかけられるか、本を読んで相談することができるか、という問題になりつつあるように思う。本当にゼロから進めるのではなく、参考になる書籍や実践例を踏まえて、何とかスタートができるようになっている。
数年前に比べれば随分とよい環境になったと思うのである。
ただ、どの本もある意味で最大公約数的に方法論は抽象化されているので、自分の学校の実践をするためには、理屈から具体化するために校内でちゃんと打ち合わせないと難しい。
その意味だと次の本くらいの「具体性」の方が全体像を捕まえやすいように思う。
良い結果は欲しいけど
探究学習の結果としては社会に何かを訴えかけることが出来るような派手な結果を期待しがちである。
最近、「地域探究」という方向性が多いのは「課題解決」という方向性が比較的分かりやすいし、成果としても予想しやすいということがあるように思う。
ただ、一歩間違えると地域を学校のための「教材」にしか捉えられなくなり、何でも好きなことをやってよい、みたいな態度になりやすい。
「課題解決」の提案というのはゴールまでの道筋が分かりやすい(それが課題解決として有効である、分かりやすい課題であるという意味ではない)ので、安易に手を出しがちであるけど実際にはその課題の場で既に悪戦苦闘している人も多いので、「目に見える課題」で何かをやろうとすると……無自覚に失礼なことにもなりがちである。
その地域の課題に本気で入り込もうとするならば、それはよほどの覚悟が「学校」に必要になってくる。どこまで「地域課題」で探究を続けられるか……意外と賞味期限は近いのかもしれない。
手に届くことをしっかりと
結局、本気で探究をやろうと、やりつづけていくのであれば、大きなことばかりに心を奪われるのではなく、もっと地道に身近な実感のあることを取り上げて良いように思う。
地道に自分で体験してみたり、プロトタイプを作ってみたり、本を読みあさったりする中で生まれてくる探究も数多くある。自分が本当にやりたいと思ったことを丁寧に。
成果をまとめることに気を取られると「遊び」を許せなくなる。
ゆっくりと焦らない余裕を。