ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【書評】「一斉授業をハックする」という発想

正月休みも終わりを迎えますね。今日明日から仕事始めの方も多いかと思います。

教員もそろそろ授業のことを考え始める時期ですよね。三学期の授業に向けて年末に発売されたこの本を紹介。

 

 

本書のポイントは…

本書のタイトルは「一斉授業をハックする」というものであり、一見すると従来の一斉授業や教え込みを否定するようなタイトルに見える。

もちろん、本書の大きな考え方として「生徒の自立を育てるために一斉授業では実現できないことがある」という面は重要だが、「一斉授業か生徒主体の授業か」の二項対立で優劣をつけることにはあまり主眼がない。本書でも「ミニ・レッスンを有効に活用する」など指導者の役割にも必要な面では言及されている。

ただ、それ以上に本書の発想として重要なのが「訳者まえがき」に以下の内容だ。

学習センターは、定められた内容を効率的に消化させるためだけのものではありません。自立した存在として、生徒が実社会を生き抜いていく力を育てるためのものです。それゆえ、授業の活動や計画は生徒と一緒につくりあげていきます。もし、それがうまくいかなかったときは、安易に教師が修正を加えるのではなく、生徒自身が振り返りを行い、現状を分析し、次にいかしていくというプロセスが大切にされています。

(訳者まえがき P.ⅵ-P.ⅶより)

本書の具体的な手法の説明については、本書を手に取って確認してもらいたいが、本書で紹介されている「8つのハック」を通して重視されていることは、上の引用部に凝縮されている。

すなわち、「学びの過程を考え、実践し、修正して目標に近づいていく力」を保障するために、教室や学習環境をどのようにデザインするか……そういう思想から、具体的な手法を提案していると言えそうだ。

学びのオーナーシップ

この本を読んでいて思い出すのが岩瀬直樹先生の実践である。

 

 

上記の本は全く『一斉授業をハックする』とは対象も狙いも異なるのだが、根底にある発想は同じである。その最も重要な点を抽象化して述べるのであれば「子どもに尋ね、子どもの意見を尊重する」という教える側の姿勢である。

『一斉授業をハックする』の「学習センター」にしても岩瀬直樹先生の上記の本の実践にしても「自分には無理」「うちの学校ではできない」という発想になりやすい。

これらの本で紹介されていることは、見た目も伝統的な教室配置(それこそサムネイルのような教室配置)とは明らかに大きく異なり、その違いの大きさは派手に見える。それだけに学校組織の中でのすったもんだは大きなものになりやすいのは想像に難くない。そのため「自分には実践が難しい」という発想になりやすい。

しかし、大切なのは「教室の見た目」ではない。

いずれの本からも学ぶべきは「学びを決めるのは誰か」という発想である。この問いに対して「指導者が適切に関わることで自分の学びを子ども自身が決められるようになってほしい」という願いを持つことが重要なのだ。

自己決定のために

本書の特長としてはSELスキルへの言及がくり返し行われている点も注目しておきたい。

※参考書籍は以下の本が本書でも繰り返し紹介されているので余裕があればこちらも読んでみることをお勧めする。

新評論から最近出版されている本に実はこんな本もある。

こちらの書評を書くことをサボっていたのでこのブログでは取り上げていないのだが、『一斉授業をハックする』とこの『「居場所のある学級・学校づくり』は表裏一体、クルマの両輪のような関係にあると強く感じる。

『一斉授業をハックする』の方法論は学力保障から始まりつつ、最終的に自己決定やそのための自尊感情の成長を願う議論になっているのだが、その方法を確度高く成功させるためには『「居場所」のある学級・学校づくり』の観点が外せないのだ。というか、本書で紹介されている「学習センター」という発想と方法は、「居場所」づくりそのものである。

現実問題として、日本の教室で「学習センター」の実践がかなりハードルが高いだろう。しかし、形式としての「学習センター」ができるかどうかはクリティカルな問題ではなく、むしろ「学習センター」で実現したいと考えている発想や理想を積極的に教室に取り入れた方が良い。そういう時に『「居場所」のある学級・学校づくり』を読んでおくことで、かなり強力に行動ができるのではないかと思う。

三学期の授業にもまだ間に合うことは数多くある。

とはいえ形を変えることも…

大切なのは形ではないということを言い含んだような書きぶりをここまでしてきたが、とはいえだ。

大切なのは形ではないとしても、形を変えて、行動を変えて、関わり方を変えてみるという試みをやってみないと理解できないことは多い。

「一斉授業を中心にやっているけど生徒に考えさせたり発表させたりしているから形は変えなくて良い」みたいなことを言って、「子どもに選ばせている風」な授業をするのはあまり望ましくないだろう。

このような発想からはAIドリルのような個別最適を行えば、一斉授業の改善につながると短絡する発想も出てくるだろう。しかし、

……読者のなかには、いわゆる習熟度別クラスの編成や、AIによって個別最適化された学習を思い浮かべる人がいるかもしれません。しかし、それらと学習センターは似て非なるものです。

(「訳者まえがき」P.ⅴより。下線強調は原文では傍点)

と訳者の指摘にもあるように、そもそも発想の根底が違うのである。

最終的に形がどのような形態になるかは大きな問題ではないと思う面は大いにあるが、ただ、これまでの一斉授業の形態しか経験が無い状態なのであれば、書籍の通りにまずは試行錯誤してみるのが「本当に教えていることは何か」を学ぶためには大切な努力なのだろうと思う。

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