受験の時期になると、受験の優劣を授業で語りがちになってしまっている気がする。まあ…受験は優劣を決めて選抜するものだから仕方ないけど、授業にそれを持ち込む必要は本来ないよなぁと思う。
優劣でモチベーションを煽らない
つい、授業でやりがちなのが優劣や順位付けをすることで、生徒を煽るようなことをやりがちな自分がいる。
授業に対して気持ちを向けさせようとする時に、授業で教えたい内容そのものではなく、外からの要因で気持ちをコントロールしようとするのは卑怯だよなと思うのである。
受験が出口にあると、優劣や順位付けを煽ったほうがお手軽だからね。受験対策をするような文脈であれば、そういう煽り方が効果を上げることがあるかもしれないけど、普段の授業でそれを持ち出すのはやっぱり禁じ手だよなぁ……。
そういう基準を自分にきちんと課すことが出来るか。自分の拙さや至らなさを思うのである。
よい授業ほど
個別最適なんて言葉が出てこなくても、よい授業はそれぞれの子どもが他者との優劣を気にするような授業にはならない。それはずっと以前から大村はまの「優劣のかなたに」のように当たり前に言われていることだ。
言葉として口に出し、意味を理解することは出来るのだけど、実践は難しい。
それぞれに適した課題を用意して手渡しても、きっと優劣を気にしないような授業になることは難しい。
ある意味で、生徒に何もさせないで一方的に話しているだけという授業は優劣を覆い隠すのかもしれない(もちろん、聞く力やモチベーションに差があるからそんなに単純な話にもならないだろうけど)。
色々なことに取り組んで、アウトプットがあるからこそ、優劣が気になってくる。でも、それすらただの違いとして尊重し合えるような授業…できるのだろうか?
自戒として
優劣を気にしないということは、とても難しい。だから、つい優劣を使って生徒を煽りがちである。
実現することが難しいということを言い訳にして、簡単な方に流れていかないように自分を律していたいと思う。