ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

ICTの勉強をし直す

今月の国語教育はICT特集

 

 

こういう雑誌に出てくる実践を読んでいると、自分の実践が窮屈だなぁとしみじみと反省……。

ICTは道具に過ぎないはまだまだ…

GIGAスクール構想のスタートのころに、散々「ICTは道具に過ぎない」ということを聞かされてきたし、今となっても「ICTをもう少し力を入れて…」というと「ICTは道具に過ぎない」と返されることは少なくない。

ただ、自分の感覚としては「ICTは道具に過ぎないというけれどね…」という微妙にモヤモヤとしたものがある。

 

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道具に過ぎないのはその通りだけど、その道具の威力が普通の文房具どころの騒ぎではないので、本気で向き合わないとまずいよね、といった感覚なのである。

昨日、一昨日とChatGPTを早速使って見ている様子を紹介しているけど、それも「これは影響が無視できないぞ…?」という感覚から、実験してみたくなっているからである。

 

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授業のあり方や学習行動を拡張し、変化させるという意味では立派な「道具」であるのだけど、普通の道具よりも遙かに影響が大きいという感覚が強く、だからこそ、危機感もある。

「あんなものに踊らされてみっともない」といわれればその通りである。ただ、自分は基本的に心配性なので、こういう影響力の大きいと感じるものには軽佻浮薄と言われようと飛びついてしまうのだ。

ICTに過ぎないと散々言われてきたけど、今となってはICTを使わない実践と同じくらい高度な実践がICTの活用した実践からも出てきている*1と思うし、ICTが威力を発揮した「高密度」ともいうべき実践も増えてきているように思う。

それどころか、「豊かな言語活動」として必須となるようなICTの活用の可能性までも提示されてるようになってきていると言えそうである。

(ICTが必然となる実践……という意味だと、今年度のICTについての連載になっている記事は毎回、ややインパクトが弱い印象はある。ただ、連載の性質を考えると、日常の足下を固めるという意味での授業提案が目的なのだろうから、それはそれでよいのだろうと思う)

授業を組み立てる力

今号の個別の実践については、個人的にはかなり好みがあるし、良し悪しもはっきり分かれているように感じる部分もある。

個別の実践について、好きなものについては今後、このブログで言及して紹介していくかもしれない。ただ、今回についてはざっくりとした印象で話を書く。

個人的にICTの活用という点で「この実践は優れているよなぁ」と思うのは、結局の所「国語の授業として面白い」と思えるかどうかが大きく関わっている。そもそも「国語の授業」として面白くないのに、いくらICTが入ってきても授業自体が魅力的には見えることはない。

教室にいる子どもたちの言葉についての実態があり、その実態から生徒が夢中になって取り組むような素材を見つけ出して、そこにICTのパワーをフルに活用していくような実践……結局、アイデアの源泉は「国語としての面白さ」から来ているように思う。

作業はいくら見た目が派手なICTを使っていても、作業が毎日、毎時間続けば苦行にしかならないのである。与えられたタスクを作業としてこなすようなICTの使い方が楽しく力のつく授業になるわけがないのだ。

その意味で、教科の面白さを本当に理解して、必要な素材と手引きを用意して、ICTを子どもたちの「道具」として使えているのであれば、本当にそれは「ICTが道具にしか過ぎない」授業であり、魅力的に見えるのだ。

*1:これはわざと相当ICTの活用の効果を低く見積もって書いている。

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