ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

公開研究会が始まる季節に

五月末から六月初めくらいから、少しずつ教育関係の研究会が増えてくる。

www.meijitosho.co.jp

各種学校の公開研究会であったり学会や学会主催の研究会など、イベントが次々とやってくる時期である。

この数年はコロナ禍の影響ですっかりと対面の研究会はご無沙汰であった。去年から対面に戻す流れはあったが、自分が去年は忙しかったので日程が噛み合わなかった。

今年は都合もなんとかなりそうなこともあって、いよいよ久々の公開研究会だ!

生の授業を見る意味

Find!アクティブラーナーのようなサービスで、授業風景を視聴することは難しくない時代になった。

find-activelearning.com

自分も暇なときには流し見を随分としているが(たぶん、サイトの動画自体はほぼ全部見ている気がする)、授業の様子を見せてもらえることは非常に助かる。

ただ、やっぱり動画で見ているだけだと、その教室の雰囲気は分からない。対面の授業見学だと、先生の説明だけを見ているのではなく、教室の雰囲気を、たとえば子どもたちの何気ない動きもかなり見ているのだ。そわそわとしているのか、じっと聞き入っているのか、気が散っているのか……そういう雰囲気の積み重ねが作り出す教室という空間を見ているように思う。

教室に実際に「参加」しているからこそ、子どもの活動に惹かれる。子どもたちがずっと悩んでいたことが、ふとした瞬間にぱあっと開けるような、そういう瞬間を目にすると、授業のすごみを感じるのである。

研究協議会で学ぶ

また、授業後の協議会も意味があると思っている。授業者がどれだけ授業に対して思い入れがあるのか、どういう風に子どもを見ているのか、そういう様子を見て学べることが大きい。

研究協議会については、教育学部出身なので学部の頃から散々くり返し参加してきたし、自分も割と痛みを伴って学んだこともある。

十年も教員をやって自分に少し余裕が持てるようになってきたせいか、協議会に参加しても小さなことが気にならなくなった。それは理屈や理論が骨抜きになるということでなくて、授業者と協働してより目指すべき授業を模索するという営みに、余裕を持って参加できるようになったような気がする。

自分にはできないと思うところからスタートして、自分ならもっとこうやるのにという気持ちを経て、自分もやってみたいと思うことが多くなった。

授業を自分のアイデアで作っているという感覚が最近はほとんどない。色々なつながりを感じながら、やっとその場で生成しているという感じ。

授業することにやっと参加できるようになってきたように思う……というとおこがましいか。

休みながら進もう

休みの日に研究会が入ることは少なくないし、平日に出張に出てしまえば仕事が立て込んで体力的に辛くなる。

それでも外部のイベントは身銭を切ってでも行くべきだと思うのである。

ただ、力みすぎて体調を悪くしないように、それだけは気をつけながら…。

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