探究学習について考えている。
学びとして、カリキュラムとしてある程度、しっかりと回していくためには、どうしても教員の立場としてはコントロールしたいことは増える。
一人の天才を出すことが仕事なのではなくて、誰一人排除することなく進んでいくことが仕事なのだ。その時に、探究という学び方は「全員」には厳しいものも多い。ただ、その厳しさのゆえんが、今の雁字搦めの制度にあるのであれば、その頑なになっていることを少しずつ解きほぐしていきたいのだ。
本当にミニマムなところの探究は、地味で、小さなことになってしまったのだとしても、それでも上手く回せるようになったという自信を深めてほしいと思うのである。そう思うと、最後は気持ちかな?何かを為すということの価値を理解する。
そのためには、やはり教員がまずは自分の何か創作物を作ってみることは大切かもしれない。
自分でものを作ってみたときに、上手くいかないフラストレーションを実感し、どうしたらいいかを悩んで見ることが、きっと関わり方のヒントになるはずだから。
まずは「ものを作ろう」。自分の創作物と呼ぶべき何かを。
探究の始動はそこからだ。指導ではなく。始動。