この数年、研究会や勉強会で実践発表の討議を聞いていると、必ず誰かが「評価はどうするんですか?」という質問をするようになっているように感じる。
実際、観点別評価には今年で三年目であるが、苦労させられているところである。
かつて紹介した上記の本のような、非常に深い理解に基づく評価の議論もある。
むしろ、本来は生徒の成長、指導の改善と全ての軸として評価が機能することが望ましいだろう。しかし、最近は色々なところで二言目に「評価は?」と聞くようになっているのを、何かなぁと思うようなことがしばしば。
本当に困っているからこそ
実際、そういう質問をする人は本気で現場で自分の授業の評価をどう設計しようかと悩んでいる人が多いのだろう。
素晴らしい実践を見ても、その実践を自分の教室で行うためには、自信を持って評価の方法を知っておきたいというのは当然の願いだろう。
もう少し手前のレベルとして、三観点の評価の方法がしっくりせずに、困ってしまっている人も少なからずいる。だからこそ、素晴らしい実践をしている人の力量で、自分の悩みを解決して欲しいという必死さもそこにはあるだろう。
ただ、せっかく素晴らしい実践を目の前にしているのに、中身よりも評価の方に気持ちが逸れてしまうのはちょっと勿体ない感じがある。
評価も含めて実践であるのだけど、評価のことばかりになってしまうと…という感じ。
マウント取りになっていないか
一方で、もう少し意地悪く思っていることとしては、「評価は?」と言えば、相手に対して優位な立場に取ることが簡単だということも、なんだか影響しているんじゃないかという気がしている。
要するに発表者に対して建設的な議論をすると言うよりは、何か言ってやろうという意図を持っている時に、「評価は?」と投げかけることは簡単なのだ。
そんな意地悪をして意味があるのかなぁ…と思うかもしれないけど、意外とそういう人が多いのですよ…。
特に足並みを揃えて何かをやろうと言うときに、新規性の高いことをやろうとすると「そういうことでは評価できない」という言葉を出せば、拒絶のための印籠みたいになっているところがある。
非常に勿体ないし、建設的ではない。
意地悪な質問に対しては断固としてそんな評価は要らないと却下することが望ましいのだろうけど、手探りで進めていたり評価を誠実に考えていたりしたら無碍にも出来ず……。
意地悪な質問だなぁ…。