勤務校ではだいぶ色々なツールを使えるように準備している。そのための準備にだいぶ時間を割いてやってきた。
今では当たり前に使われているCanvaやこれから波が来そうなFigmaまで、色々なものを準備している。一つ一つのツールについて、イチイチ説明をしなければいけないというのは非常に手間がかかる作業であったが、使うようになってしまうとそれが当たり前になるものだ。
意識しないレベルになってこそ
ツールの導入は学校にとってはハードルが高い。
一つ一つのツールについて、いちいちきちんと安全性や、安全性とまでは言わなくても機能の概要まで理解することが必要である。誰が?もちろん、権限を持っている人が、である。
つまり、一教員がいくらいいものだよ!と言っても、基本的には管理職の立場にある人の決裁が必要になるのである。
そうなってくると、これだけおそろしい速度で変化していくICT業界に対してはかなりスローペースで対応を進めていくことになるし、基本的にはあまり首尾良く行かないことの方が多い。だいたい「よくわからない」という理由で却下になることも多い。
イライラすることも多いのだけど、まあ、それはそれで仕方ない。ちゃんとブレーキが機能しないテクノロジーの暴走は恐ろしい面も大いにある。
そんな導入までのイライラやケンカを振り返ると、こうして道具がそろう環境になったことは喜ばしい。
環境が揃ってしまえば、それが当たり前に使えることが、日常の風景であり、もはや使わないでどうしたらよいのかという状態になるのだ。
誰もツールがないと状態ということ思い出さない。
でも、そういうものなのだ。それだけちゃんと使う日常がやってきた。
また喜ばしからずや。
何気ない生徒たちの姿
廊下を何気なく歩いていると、生徒が置かれたベンチに座りながら、端末で何かの課題をやっている風景が日常的にある。
そういう風景を見ていると、生徒たちはこういうツールを当たり前にあると思ってくれているのだろうかと思う。そうやって、生徒が意識しないでも、当たり前に普段から使っているという状態は、本当にツールを「使えている」という状態と呼んで良いのだろう。
そこにあるのが当たり前。それでいいのだ。それがいいのだ。