昨日、ぼやきのように生成AIの話を書いた。
まあ、ぼやきなんですが。
こういうへんちくりんな使い方をしているばかりではなく、割と毎日、色々なことに使っている。流石に月額で3000円を払っているので使い倒さないと勿体ないのである。
気の乗らないことほどAIへ
やっぱり生成AIの一番よいところは、感情に左右されないところである。
つまり、やる気があろうと無かろうと、気が乗ろうと乗るまいと、毎回、一定の出力を確実にしてくれるのが生成AIである。
だから、謝らなければいけないようなことに対して、さっさと謝罪の文面を考えてもらう時などは、生成AIに投げてしまうのがいいのである。自分で全部受け止めて削られるよりも、ワンクッション置いてからどうしたらよいかということを考えてみるのは、よい手法かもしれない。
今の時期だと保護者宛文書をちょっと考える仕事が立て込んでいるのだけど、時候の挨拶や頼みづらいことを書いたりなどは、もうまずはAIがどうやってリアクションをしてくるのかを試してみれば良いやという気がしている。
幅を広げるときに
正直、個人的には書いたものだとか考えたことに対して、あまりAIからフィードバックを採用しようという風に思ったことは多くない。
丁寧にやっている時ほど、自分が既に却下したようなアイデアを再度持ちだしているだけだなぁ…と感じることが多いし、言われたものをそのまま採用するかどうかは単なる趣味の問題である。
あまり丁寧に読まれていないなぁと感じるものについては、AIでさっさと形を整えるのはよくやるようになったけれども、本当に伝えたいこと、本当に共有したいことは、まあ、AIに何言われてもな…という感じである。
ただ、自分が書きたいことがあるはずなのに、手詰まりになっている時には、AIに投げてしまった方が良い感じかも。
自分にとって本当に刺さる言葉が出てくるかは、あまり期待値は高くないけれども、ドン詰まっている時ほど、何でもいいから言われれば「いや、そうじゃない」という感じでちょっと切り崩せる感じはあるのです。
面倒だなと思ったことは全部投げてしまう
とりあえず、なんだか自分の心に面倒だなぁと、その内容を寝かしてしまいそうなものが舞い込んできたら、その面倒なものを全部、AIにとりあえず投げて何か言わせておくのがよい気がしている。
時々、拾い上げてくることが出来る、何か面白いことがあったりするのである。