明治図書の雑誌で授業開き特集を見ると、いよいよ年度末、新年度が近いなあと思います。
授業開きをどこまで意図的にやるか、授業者がイニシアチブをどこまでとるか、近年の授業の在り方の議論を見ていると、悩むところもあるけれども、まあ、子どもたちを歓迎するという意味でも、授業開きは少し手の込んだことをやってみてもよいかもしれない。
数年前に比べて、こうした授業開きの特集号を読んでいても、授業者の授業に都合のよい規律を教えるみたいな意図の授業開きはかなり減ったなと思う。
最初の授業で、授業のルールというものをどのように扱うべきかは、悩むところではある。あまり規律規律と最初に言ってしまうと学びに向かうテンションは下がってしまうけれども、最初の段階で伝えた方がしっかりと伝わることはある。
基本的には一緒に授業を一年間、これから取り組むことができるのは嬉しいという伝え方がベターなのだろうなと思う。
さて、明治図書の『教育科学国語教育』を読んでいて、最初に思うこととしては「やっぱり高校の授業開きの話はないのね」ということである。紙面が限られていることを考えれば仕方ないと思うところもあるけど、高校の授業開きの話題があまり重視されていない、授業開きを意識している人が多くない?と色々と思うところがある。
生徒だって「どんな人なのだろう?」と興味を持って話を聞いてくれるのは初回授業だけなのだから(失礼)、授業開きのタイミングを高校でも大切にした方がよいだろうと思う。
高校の先生方は、高校の授業開きをどのように考えているのだろう。