ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

そんなのってある?

Vancouver Public Central Library

教科書検定についてこんな記事が出ていた。

www.nikkei.com

前回の教科書検定で第一学習社が制度の穴をついて小説を載せたために、今回の結果ではこういう結果になる。

逆にいうと正直に小説を載せなかった教科書が大幅にシェアを減らすようなことがあれば、非常に悲惨な話である。

「現代の国語」と「言語文化」の区分けについて、現場からはずっと文句ばかり出ている。

「現代の国語」では評論や実用的な文章を主とすることは事実だし、一方で文学的な文章を言語材として扱うこと自体は禁止されていないというのは事実である。教科書に文学的な文章の記載があろうとなかろうといくらでも工夫の余地はある。

マスコミなどには出てこないだろうけど、現場の建て前と本音について言えば、「文学軽視だ」という建て前を都合よく言いながら、本音は「これまでの授業スタイルを手放したくない」ということである。

露悪的にいうならば、自分の教えたいことを教えたいという姿勢が高校の現場は強いのだなと思うのである。まあ、これは自分の職場、半径五メートルの観測からの感想かもしれないけど。

個人的には文学的な文章が嫌いなわけでもないけど、「現代の国語」の指導事項をきちんと取り扱おうと思ったら、相対的に文学的な文章の扱いは時間内では難しいだろうと思う。

「現代の国語」の設定された問題意識や実際の指導事項を読んだときに、文学と比較してそこまで軽く考えてよい事柄でもなかろうと思う。特に高校は事実上、社会に出る直前の教育を担う学校であることを考えると、文学だけを特権的に優先することは難しいし、場合によってはカットせざる得ない。設定としては「言語文化」もあるのだから、そこで適切に扱えばよいのである。

授業時間数自体が有限で、決して多くないのだから。もし、本気で文学の優位性を争うならば国語科内で争うだけではなく、もっと単位数の多い他教科にも噛みついていくべきなのだ。そういう議論にならないあたりが、まあ…授業の仕方の話なんだよな、結局、と思うところです。

 

 

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