最近、国語科の授業の役割を考えると、生徒が無意識に使っている言葉の技術に、丁寧に名前をつけて、子ども自身が自分の技術として使えるようになることなのではないかと、最近になって感じている。
国語に対する苦手意識や言い訳として繰り返される予防線を聞いていると、せっかくいろいろな言葉を持っているのに、それを言語化できないでモヤモヤと有象無象にしてしまっていることが、非常にもったいないのだ。
そのモヤモヤとしたことに対して、少しずつ形を与えていることが、国語科の授業者としての技術になってくるのだろうな…