今回の選挙の結果に対して「教育の敗北だ」という意見を何度か目にしている。
自分としても選挙結果に思うところが無いわけではないが、簡単に「教育の敗北」ということはできないのではないかと思いたい。
本当に教育の成果、力が試されていくのは、むしろここからなのではないか。
色々なものが可視化されてきたときに、選ぶという一瞬よりも選んだということに対する中長期的な責任と向き合って行くことになる。選んだものがどのような振る舞いをしていくか、無関心になることなく、どれだけ付き合っていけるかという、そういう粘り強さ。
高校の定番教材の丸山眞男「「である」ことと「する」こと」(岩波新書『日本の思想』に収録)にはこんなことが書いてある。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが(中略)つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行為を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。
自分も高校の頃に読んだし、今の高校生も読んでいる高校生は少なくないのではないかと思う。割と定番教材なので、比較的、多くの人が読んでいる気はする。
ただ、この本文を覚えている人は多くないだろうし、ここに書いてあることにまさに直面しそうになっているということに実感を持つ人も多くはないだろうと思う。
でも、まさに今が、この本文を読み直して考える事態になっているように思えるのだ。






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