半日、オンラインの研究会に参加した。
移動時間もなく、自宅から気軽に参加できるのはありがたい。有益な情報もたくさん得られた。しかし、すべてのセッションが終わと今日はなんだか、ずしりと重い疲労感に襲われた。
対面の研究会であれば、この疲れは心地よい充実感と結びついているはずだ。だが、画面越しに得たこの疲労は、どこか無機質で、ただただ消耗させられたような感覚がある。
私たちはコミュニケーションの際、言葉の意味そのものだけでなく、声のトーン、視線の動き、表情の機微、身振り手振りといった非言語的な情報から、多くのことを読み取っている。相手が話に頷き、少し眉をひそめ、前のめりになる。そうした身体的な反応があるからこそ、場の空気を読みながら発言を調整することもできる。
オンラインでは、相手の反応が読めない不安の中で、普段よりも多くの認知的なコストを支払って言葉を発しているから、こういう無意識の負荷がなんとなく疲れるんだろうな。
オンライン化が進み、誰もが画面越しのコミュニケーションを当たり前とする時代になった。だからこそ、生身の身体を介したコミュニケーションの価値や、言葉の身体性に関わる国語科の役割は、むしろ増している気がする。
まあ、いまさらなことを言っている気がするけど、妙に今日は疲れたのですよ。





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