今週のお題「変えたいこと」
文科省委託事業の「生成AIパイロット校」の成果を共有する公開学習会が2月2日に開催されるという。
パイロット校の担当者と直接対話しながら、活用の工夫や運用のポイントを確認できる場だそうだ。こうした実践の共有が進むこと自体は喜ばしいことだろうと思う。
一人で頑張っても限界がある
さて、「変えたいこと」である。
自分がここ数年、ずっと感じていることがある。それは、自分一人が授業で生成AIを活用していても、生徒のAI活用がなかなか「良く」なっていかない、ということだ。
「良い」というのは曖昧な言い方だが、要するに「落ち着いた使い方」というか、道具として適切に距離を取りながら使えるようになる、ということである。
一つの教科でだけAIを使っていると、生徒にとってはどこか「特別なこと」になってしまう。特別なことは、往々にして過剰な期待か過剰な警戒を生む。
多くの大人の目で見守るということ
複数の教科でAIを使うようになると、何が変わるか。
それは、多くの大人の目で子どもたちのAIとの向き合い方が見えるようになる、ということである。
国語の授業でどう使っているか、数学ではどうか、総合的な探究の時間ではどうか…。それぞれの教員が、それぞれの文脈で生徒の姿を見ることができる。そうすると、「あの子は最近ちょっとAIに頼りすぎているな」とか「この子は上手く使い分けられるようになってきたな」といったことが、複数の視点から見えてくる。
これは、一人の教員が一つの教科で頑張っているだけでは、なかなか得られない視点なのである。
使わない授業が「抜け道」になる
もう一つ、気になっていることがある。
AIを使う授業と使わない授業がはっきり分かれていると、使わない授業のほうで「抜け道」的にAIが使われるようになるということだ。
ある教科では禁止、ある教科では推奨、となると、生徒はどうしても「バレないように使う」という方向に流れやすい。
これは生徒が悪いというよりも、環境の設計の問題だろうと思う。学校全体として「AIとどう付き合うか」という方針がなければ、個々の教員の判断に委ねられ、結果として生徒にとっては混乱の元になる。
個人から組織へ
というわけで、自分が「変えたいこと」は、AI活用を個人の実践から組織の実践へと広げていくことである。
自分一人で先進的な取り組みをしていても、それだけでは学校全体の文化は変わらない。むしろ、「あの先生は変わったことをしている」で終わってしまう可能性すらある。
パイロット校の取り組みが「見る・語る・持ち帰る」ことができる場として共有されるのは、まさにこの「個人から組織へ」という移行を促すものだろう。
一人の実践者の工夫が、他の教員に伝わり、学校全体の方針として根付いていく。そういうプロセスが、今まさに求められているのだと思う。
もちろん、そんなに理想通りにいくものではない。いろいろなしがらみがある。
組織を動かすというのは、一人で授業を工夫するのとはまったく違う種類の難しさがある。でも、そこに踏み出さないと、生成AIは「一部の教員の趣味」で終わってしまうかもしれない。





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