
50歳で法科大学院に通い始め、57歳で司法試験に合格し、60歳を目前に弁護士になった方の講演記事を読んだ。
和歌山市の宮﨑まどかさんという方で、映像制作の会社を経営しながら、40代後半で自分の人生の方向性を見つめ直し、弁護士への道を選んだという。
この記事を読みながら考えたのは、「学び直し」を可能にする力とは何か、そしてそれは学校教育でどのように育てられるのか、ということである。
リメディアル教育の射程
「リメディアル教育」という言葉がある。大学などで基礎学力を補う教育として語られることが多いが、本来の意味はもっと広い。"remedy"——つまり「治療」「回復」であり、必要なときに必要な学びに立ち戻れること、それ自体が一つの力なのだと思う。
宮﨑さんの場合、慶應義塾大学法学部を卒業後、ジャーナリズムやデザイン、映像制作と、法律とは直接関係のないキャリアを歩んでいる。にもかかわらず、50歳から法科大学院で学び直し、司法試験に合格したという。
これは単に「努力した」という美談ではなく、学び直すための基盤が、それまでの人生のどこかで培われていたということではないだろうか。
宮﨑さんが社会正義に関心を持つきっかけとなったのは、小学校時代のエピソードであるという。
これは、「教科の内容を教えた」という次元の話ではないということのように思う。問いを投げかけ、子ども自身に考えさせる。そういう授業が、何十年も経ってから人生の転換点で効いてくる。
学校教育の射程とは、本来そういうものなのだろうと思う。
「学び直す力」をどう育てるか
では、学校で「学び直す力」をどう育てるか。
一つは、学び方そのものを学ぶ経験を積むことなんだろうけど…。探究的な学習が重視される背景には、こうした発想があるわけだけど、そういうことまでなかなか発想が言っていないのが現場だなって思っている。
もう一つは、「自分はいつでも学べる」という自己効力感を持てるようにすることだろう。失敗しても立ち上がれた経験、自分のペースで試行錯誤できた経験の積み重ねから生まれるものだと思う。
ただし、注意も必要である。「将来役に立つから今勉強しなさい」という論法で子どもを動機づけようとするのは、あまり筋がよくない。
知識の量よりも、学ぶことへの抵抗感のなさ、未知の領域に踏み出す勇気、そして自分自身の人生を主体的に選択するという感覚から成り立っている。
国語科の立場で言えば、言葉を通じて自分の考えを整理し、他者と対話し、社会と接続する力は、まさにこの土台になるものだろうと思う。




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