ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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「障害の社会モデル」が教職課程の必修に

文科省が2026年2月19日、教職課程において「障害の社会モデル」を必修とする案を明らかにした。

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特別支援教育に関わる内容を、幼・小中・高すべての教職課程で共通して学ぶ内容に位置づけるというものだ。ニュース自体は短いものだったが、自分にはかなり刺さるものがあった。

「障害の社会モデル」を知らない教員は、実は多い

「障害の社会モデル」というのは、大学入試の現代文ではよく見るテーマの一つである。

端的に言えば、障害を「個人の機能的な問題」としてではなく、「社会の側にある障壁(バリア)との相互作用によって生じるもの」として捉え直す考え方だ。

これに対して従来の「医学モデル」は、障害を個人に帰属する問題として捉えてきた。治療や矯正によって「普通」に近づけることが支援だ、という発想がその根底にある。

受験生はこの対比を現代文で習う。

ところが教壇に立つ教員がこの概念を理解しているかというと……実はそうでもない場合が少なくないのではないだろうか(あくまで自分の周囲の観測なので、断言はできないのだが)。

現場でよく聞く言い方は、本人の問題として帰属させているという意味では、医学モデルの語彙で語っているとも言える。

「社会の側を変える」という発想の難しさ

社会モデルを理解することと、それを実践に移すことの間には、相当な距離がある。

「教室のバリアを取り除く」というのは言うは易しで、具体的に何をすればいいかとなると難しい。

板書の量を減らすのか、座席を変えるのか、評価の方法を変えるのか……。合理的配慮として「可能な範囲で対応します」という言い方はよく聞くが、「可能な範囲」の引き方が問題なのだ。

また、クラスに30人いる中で特定の生徒にだけ異なる対応をすることへの、他の生徒や保護者からの視線という問題もある。

「なぜあの子だけ?」という声に、社会モデルの考え方できちんと答えられる教員がどれだけいるか。

必修化されることで「知識として知っている」教員は増えるだろうと思う。ただ、知識が実践に転化するには、もう一段のプロセスが必要なのである。

「うまく働けない瞬間」は誰にでもある

少し視野を広げると、社会モデルの考え方は障害のある人にだけ関係するわけではないと思う。

誰だって、環境との相性が悪いとうまく動けなくなる。

大きな会議室で発言できない人が、小さなグループでは雄弁だったりする。紙のテキストでは頭に入らないのに、動画なら理解できる人がいる。午前中は集中できないが、夜になると思考が動き出す人がいる。

これは「個人の問題」なのか、「環境の設計の問題」なのか。

社会モデルの問いをかなり矮小化した例示だけど、こういう例をぱっと捉えるだけでもイメージできることは変わらないだろうか。

自分自身を含めて、誰もが「ある環境では機能できない」可能性を抱えている、という認識は忘れないでいたいところだ。

制度と文化の間で

今回の必修化は、制度的には大きな一歩だと思う。実効性の問題はあるけど…言葉がこうして広がるだけでも、概念として広まることに意味がある。

むしろ、既に現場に立っている自分たちこそが問われているのかもしれない、と自戒も込めて思う。

教職課程で学んでいない世代であっても、「この教室のどこかに見えないバリアがないか」を問い続けることは、できるはずなのだが…。

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