
日本の大学が2033年の目標としていた留学生40万人を、8年前倒しで達成した。2025年6月時点で43万5200人。
この数字だけ見れば、明るいニュースのように映る。ただ、教育現場にいる立場から素直に喜べるかというと、少し複雑な気持ちが残るのである。
数字の背景にあるもの
少子化で国内の子どもが減り続ける中、外国から人が来てくれるのはありがたい話だ。
少なくとも大学・高等教育の文脈では、国際競争力や労働力確保の観点から政策的な意味合いは大きい。
政府がJ-MIRAIという戦略を打ち出し、国際学生の受け入れ枠を広げ、一部の国立大学では留学生授業料の上限規制を撤廃するなど、制度的にも動いている。
ただ、留学生の92.5%がアジア出身で、中国・ネパール・ベトナム・ミャンマー・韓国が上位を占めているという実態を見ると、単純に「グローバル化が進んだ」と言い切るのも少し難しいかもしれない。
政府も留学後の就職・定住を明示的に政策目標に位置づけている。受け入れる側の意図と、来る側の事情の両方を見ておく必要があるだろう。
大学の話は、高校や中学の話とどこかでつながる
自分が働くのは高校現場なので、大学の受け入れ政策は直接の管轄ではない。でも、まったく無関係かというとそうでもない。
留学生を多く受け入れた大学が、日本語力や学習文化の差異をどう橋渡しするかという問題は、程度の差はあれ今後の高校・中学にも波及しうる話だと思っている。
外国籍の生徒・外国にルーツを持つ生徒はすでに全国の学校に一定数在籍しており、特に都市部では無視できない規模になってきた。
学習言語としての日本語が十分でない状態での学校生活、進路指導の難しさ、家庭との連携の複雑さ……現場では、すでに試行錯誤が続いている。
今の学校現場は、はっきり言って余裕がない。
業務量の増加・教員不足・地域間格差など様々な課題が山積する中で、新しい対応を求められても、十分な体制が整っているとは言い難い。
外国にルーツを持つ子どもへの支援は、日本語指導の加配教員制度など一定の手立てはあるものの、自分の周りを見ている限り、それで十分かというと首を傾けざるを得ない。
国語科として考えること
国語科の立場から言えば、「言語」はすべての学びの土台である。
外国にルーツを持つ生徒が日本語という言語で何かを学び、考え、表現するためには、相当な支援が必要だ。
一方で、その生徒が持ち込む言語・文化・視点が、クラス全体の学びを豊かにする可能性もある。
どちらの側面も抱えながら、国語教育として何ができるのかを、自分なりに考え続けなければいけないと思うのである。留学生43万人という数字は、高等教育の話であっても、最終的には初等中等教育の現場とつながっている。その連続性を見失わないようにしたいところだ。




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