
高校の実質無償化が、いよいよ2026年度から本格的に動き出す。
自分はこのニュースに接したとき、まず海外の教育系メディアの記事を読んだ。
英語圏の報道は、日本国内のニュースと比べて政策の背景や文脈の説明が丁寧で、議論全体の構造を把握するのに非常に役立つのである。
今は生成AIに丸投げすれば翻訳もあっという間にできるのだから、英語が苦手な方にもぜひ試してほしいところだ。
「選択肢が増える」は本当か
今回の改革の柱は二つある。一つは2025年度から、就学支援金の所得制限が撤廃されたこと。もう一つは2026年度から、私立高校の授業料相当分についても支援が大幅に拡充されること。これによって、公立・私立を問わず授業料の負担がほぼゼロになる世帯が増えることになる。
「学校を選ぶ自由が広がった」という受け止め方は、一定正しいと思う。経済的な理由で私立を断念していた家庭にとって、選択肢が増えることは事実だ。
教育の入口における格差を縮める効果は、それなりに期待できるだろう。
ただ、「授業料が無料」という言葉だけで私立高校を選んでしまうと、後から想定外の費用に直面する可能性が高い。
私立高校は特色ある教育を実現するために、授業料以外の部分でかなりのお金がかかるのが実情だ。参考書一冊をとっても公立より遥かに多く購入させる傾向があるし、修学旅行についても海外が当たり前という学校もある。
公立なら十数万円で済む修学旅行費が、私立では数十万円に上ることもある。
こうした「授業料以外のコスト」は、今回の支援の対象外なのである。
大阪が見せた未来
海外記事が特に詳しく論じていたのが、大阪府の先行事例だ。
府独自の無償化を早くに実施した大阪では、私立への志願者が増加する一方、公立高校の入学者が減り続け、複数校が廃校に追い込まれた。
地域のコミュニティセンターとしての役割も担っていた公立高校が失われることの影響は、単純な教育問題にとどまらない。
東京でも、無償化の影響が中学受験の過熱という形で出始めているという。
上位私立高校の多くは高校からの入学枠が小さいため、そこを目指す家庭は中学から私立に入れようとする。
結果的に、無償化の恩恵が塾や私立中学の費用を賄える余裕のある家庭に集中していく構図だ。「格差の縮小」を目的にした政策が、別の格差を強化していくとすれば、これは皮肉というほかない。
「私費負担」の問題は残る
自分が気になるのは、今回の改革がどうしても「授業料の補助」という一点突破に見えてしまうことだ。日本の教育はもともと、保護者の私費負担に依存しすぎている。OECDの統計を見れば、日本の教育に対する公的支出の割合がいかに低いかは明らかで、これは「不確かなこと」ではなく長年指摘されてきた構造的な問題である。
授業料が無料になることは良いことだ。ただ、それで解決したように見えて、実は問題の場所が変わっただけという事態になりかねない。
さらに踏み込んで言えば、私立への公費投入を強化していくという方向性は、中長期的には公立高校を「縮小・再編していく」ことを念頭に置いた政策とも読めるのである(これは自分の解釈であり、確認できる限りで政府が明言しているわけではない)。
もしそうであるなら、公立高校が担ってきた地域社会との結びつきや、均質な教育水準の保証といった役割をどう引き継ぐのか、もっと議論されてもいいはずだ。
教育予算の議論を正面から
文科省は今年度から3000億円規模の公立高校支援基金を立ち上げ、放課後補習や進路指導の充実を図るという。方向性としては理解できるが、これで十分かどうかは慎重に見ていく必要があると思う。
自分が現場で感じることは、教育にかかるお金の多くが依然として保護者と生徒に転嫁されているということだ。
「無償化」という言葉の明るさに引っ張られて、そうした構造的な問題が後景に退いてしまわないか、少し心配なのである。
高校無償化そのものは支持したい。ただ、「学費ゼロ」の先にある教育の質や公平性についての議論を、丁寧に続けていく必要があるだろうと思うのである。




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