ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

入学前教育と課題の「適量」をめぐって

AI教材の入学前教育が25大学79学部に拡大しているという記事を読んだ。atama plusのAI教材を活用し、入学後の学びに必要な基礎学力を習得させる取り組みらしい。

edu.watch.impress.co.jp

自分としては、こうした学び直しの機会を提供し、大学での学びにスムーズに移行できるよう支援する取り組み自体はよいと思う。

年内入試で合格した学生が、入学までの数か月をただ過ごすのではなく、基礎学力の定着に充てられるのは建設的だろう。

課題の分量という問題

ただ、入学前教育を語るとき、どうしても気になるのが課題の分量と難易度の問題である。

もちろん、記事に出てくる大学のことを指して言うわけではない。

しかし、現実には明らかに高校生が高校生活をしながら取り組むには無茶な分量や難易度の課題を出してくる大学もある。特にあの入試制度…ご想像にお任せします。いや、入学の合格を出しておいてだな…と思ったり思わなかったり。

話を元に戻すと、早ければ11月ごろに合格が決まるのが今の入試だけど、一般的な高校は1月くらいまでは学校があるのだから、その前提で課題の分量や期日は考えてあげてほしいと思うことがある。

高校3年生の11月・12月は、まだ学校に通っている期間なのである。

授業もあれば定期考査もある。そうした高校生活を送りながら、別途大学からの入学前課題に取り組むことになる。

この現実を理解した上で課題を設計しているか。そこが問われるのではないだろうか。

課題の「傲慢さ」について

大学の入学前課題に限った話ではないが、高校の課題の出し方についても同様の問題がある。

生徒の睡眠時間や生活を削るような出し方をする学校が、進学校として指導力のある学校みたいな風潮があるのは、どうなのだろうか。

課題を出して無制限に生徒の時間を埋め尽くしていこうとする心根は、自分には下品に思える。

「課題をたくさん出せば学力がつく」という発想は、ある種の思考停止である。課題の量で圧倒するのは、指導の工夫のなさを露呈しているように思う。

もちろん、一定の課題が必要なことは理解している。しかし、「適量」という概念が欠落した課題設定は、生徒の生活を破壊するだけである。

睡眠時間を削り、余暇を奪い、自主的な学びの時間を圧迫する。それで「指導力がある」と評価されるのだとしたら、評価軸そのものがおかしいのではないか。

スマホの使い過ぎだから課題をやらせた方がマシだという議論もあるかもしれないけど、そういう強制を重ねた先に何があるんだろう?

生徒の時間を尊重する

入学前教育にせよ、高校の課題にせよ、結局のところ問われているのは「学生・生徒の時間をどう考えるか」という姿勢だと思う。

彼ら・彼女らの時間は無限ではない。学校や大学のためだけに存在しているわけでもない。睡眠も、友人との時間も、家族との時間も、趣味の時間も、すべて彼らの人生の一部である。

課題を設計する側は、そのことを忘れてはいけないだろう。

「これくらいできるはず」という傲慢さではなく、「この分量は本当に適切か」という問いを常に持ち続けること。それが教育に携わる者の誠実さだと、自分は思うのである。

まあ、自分自身も課題の出し方には気をつけているつもりだが、反省の意味も込めて。

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