ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

国語WGの「話すこと・聞くこと」の個別化提言に覚えるモヤモヤ

中教審の国語ワーキンググループ第6回会合(3月9日)で、「話すこと・聞くこと」の個別化について委員から提言があったという報道を見た。

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発表者の一人は、子どもの「話す力」を育む教育プログラムを提供する一般社団法人「アルバ・エデュ」の竹内明日香代表理事。もう一人は信州大学教育学部の西一夫教授。詳細は確かめていないが、見出しの「話すこと・聞くことの個別化」という方向性自体について、少し考えてみたい。

話すことの重要性に疑いはない

まず前提として言っておきたいのだが、自分は「話すこと・聞くこと」の重要性について疑いを持っているわけではない。むしろ、国語科の授業の中で話す力・聞く力にもっと丁寧に向き合うべきだという立場である。

伝えることには悩みが大きい。生徒を見ていても、記事にあるように自分の考えを言葉にして人に伝えることに苦手意識を抱えている子は多い。「書くこと」以上に「話すこと」は即興的であり、言い直しがきかない分、心理的なハードルが高い。

だからこそ授業の中で場数を踏む意味があるし、国語科が引き受けるべき領域だろうと思う。

恥ずかしながら、アルバ・エデュについては寡聞にして知らなかった。調べてみると、2014年に設立された一般社団法人で、プレゼンテーションスキルやコミュニケーション能力の育成を軸に、学校・自治体・企業と連携して教育プログラムを展開しているようだ。代表の竹内氏は元銀行員で、ビジネスの世界で培ったメソッドを子ども向けに応用しているという。

団体のサイトを見ると、「すべての子どもに話す力を」をスローガンに掲げ、「考える力」「伝える力」「見せる力」の三本柱でプレゼンテーションプログラムを構成している。日本経団連の調査結果を引きながら、話す力の教育機会の不足を課題として位置づけている。

取り組みそのものは需要はあるものだと思う。

プレゼンやスピーチを通じて自己効力感を育てるという発想も理解できる。ただ、どこかモヤモヤするものがある。

モヤモヤの正体

何がモヤモヤするのか、自分でも整理しきれていないのだが、いくつか思い当たることはある。

一つは、対話の中で考えを深めること、聞くことを通じて自分の認識を更新すること、言葉を選ぶことの倫理性…そうした側面が「プレゼン力」の枠組みに回収されてしまうことへの違和感がある。

もう一つは、これが学習指導要領という国のカリキュラムの議論の中で出てきているということへの引っかかりだ。話すことに力点を置くこと自体は大切だろうと思う。しかし、国のカリキュラムとして「個別化」と言われると、なんだか居心地が悪い。個別化の名のもとに「話す力」がスキルトレーニング的に切り出され、測定可能な能力として管理されていく未来が、うっすら見えてしまう。

「言語文化」との対照

「話すこと・聞くことの個別化」と「言語文化としての言葉の学び」が並んで出てくると、余計にその対照性が際立つ。一方では言葉の歴史や文化的厚みを学びましょうと言い、他方では話す力を個人のスキルとして効率的に伸ばしましょうと言う。もちろんどちらも必要なのだが、同じ「国語」という教科の中でこの二つがなんだか噛み合わない感じがしている。

WGの取りまとめは今年の夏頃になる見通しだ。国語科に関わる者として、引き続き注視していきたいところである。

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