
学研教育総合研究所が公開している「小学生・中学生・高校生白書」のデータを、こちらの記事が取り上げていた。
好きな教科・嫌いな教科、生成AIの活用状況、自己効力感に関する設問など、なかなか興味深い内容が並んでいる。
国語、相変わらず嫌われる
教科の好き嫌いに関するデータを見ると、国語科は相変わらず「嫌いな教科」の上位に顔を出している。国語科の教員としては毎年のようにこの結果を見て「まあ…そうだよね…」となるのだが、慣れるものでもない。
それ以上に気になるのは数学の不動のポジションだ。
嫌いな教科としての存在感がいつまでも揺るがない。政府は理系人材を増やすという方向性を打ち出しており、理系の割合を5割程度にまで引き上げるという目標も示されている。
しかし、肝心の数学がここまで嫌われていて、本当に大丈夫なのだろうか。制度設計だけで学びへの向き合い方が変わるわけではないのだから、この数字はもう少し深刻に受け止められてもよいように思う。
生成AIの活用はキャズムを超えた
高校生の生成AI活用についてのデータも示されている。数字としては確実に増加しており、もはや「一部の先進的な生徒が使っている」という段階ではなくなっている。完全にキャズムを超えたと言ってよい状況だろう。
ただ、気になるのは利用方法の上位に「情報収集」が入っている点だ。生成AIの性質を考えると、これはかなり危ういのではないか。
生成AIは「もっともらしい文章を生成する」ものであって、正確な情報を検索して返すツールではない。最近は検索機能も強くなったし、ハルシネーションはだいぶ減ったけれども、とはいえ、ハルシネーションのリスクを考えれば、情報収集の手段として無自覚に使うことには大きな問題がある。
裏を返せば、これは授業のなかで生成AIの使い方が十分に扱われていないということの表れでもあるのだろう。
「なんとなく便利だから使っている」というレベルにとどまっているのであれば、それは活用が進んでいるというよりも、リテラシーが追いついていないまま普及だけが先行している状態のように思う。
生成AIを「使うな」ではなく「どう使うか」を教える場面が、授業のなかにもっと必要なのだろうと思う。
年齢とともに下がる自己効力感
「自分の行動で周りの人を助けたり、幸せにしたりできると思うか」という設問の結果も印象に残った。小学生から高校生へと年齢を重ねるにつれて、肯定的な回答が下がっていくのである。
これはなかなか厳しい数字だ。
成長するにつれて「自分の力で誰かの役に立てる」という感覚が薄れていくというのは、学校教育に関わる人間として見過ごせない。もちろん、思春期特有の自意識や、社会の複雑さが見えてくることで素朴な楽観主義が後退するのは自然なことかもしれない。
しかし、それにしても「年齢が上がるほど自己効力感が下がる」という傾向が安定的に見られるのだとすれば、学校という場がどこかで子どもたちのエンパワーメントに失敗しているのではないかと考えざるを得ない。
探究学習やプロジェクト型の学びが広がりつつあるのは、こうした課題への一つの応答でもあるはずだ。
自分の問いから始まり、自分の行動が社会に何かを返せるという実感を持てる場を、もっと丁寧につくっていきたいところだ。
おわりに
こうしたホワイトペーパーのデータは、目の前の生徒たちの姿と重ね合わせて読むことで初めてリアリティが出てくる。
数字だけを見て「こういう傾向だ」と処理するのではなく、「自分の教室はどうか」「自分の授業はどうか」と引きつけて考えるきっかけにしたい。
少なくとも自分にとっては、国語嫌いのデータも生成AIの使い方の問題も、どちらも他人事ではないのである。





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