
以下の記事を読んでしばらく考え込んでいた。
スタディポケットが「みまもりプロンプト」という新機能を2026年度にリリースするというものだ。担任教員が生徒一人ひとりのAI対話に個別の配慮や指針を付与できる。
ひらがなの分かち書きが必要な生徒、母国語が日本語でない生徒、長文が苦手な生徒…といった個別ニーズに応じて、教員が「みとり」に基づいてプロンプトを設定する。発想としては面白いと思う。
非開示という仕組みの話
気になったのは、設定された配慮や指針が「生徒には開示されない形」でAIの応答に反映されるという部分だ。
ただ、これ自体はそんなに珍しい話でもない。
座席配慮も、支援の中身も、すべてを本人に説明するわけではない場面は教育現場では普通にある。
保護者から「本人には言わないでほしい」という依頼が来ることだってある。だから非開示であること自体が問題だとは言い切れないのだが、AIという媒介が入ることで、その介入が生徒には「AIの自然な返答」として受け取られる点は、まあ…少し考えてみたい気がする。
介入と委任のバランス
教員のみとりは正確なときもあるし、そうでないときもある。固定化されたラベルがプロンプトに残り続けるとどうなるか。その判断の適不適を誰がどう確認するか。
こうした問いに、簡単に答えが出るとは思わない。
また、「みまもりプロンプト」で調整されたAIに慣れた子どもが、日常的に触れる一般の生成AIとのギャップをどう扱うかという問題もある。
配慮された環境での学びが、そうでない環境でも機能するかどうかは自明ではないからだ(逆に、そのギャップ自体を学びにするという考え方もあるかもしれないけれど)。
「みまもり」というタイトルを見て、見守りよりお守りが欲しいなぁ…とふと思った。
善意の設計が必ずしもよい結果を生まないのが教育現場の難しいところで、AIはその不確実さをもう少し複雑にしている気がする。
介入と委任のバランスをどこに置くか。こういう機能が出てきたとき、その問いを持ち続けることは必要なのだろうと思うのである。




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