
NPO法人企業教育研究会(ACE)が、アクセンチュアの支援を受けて開発した小学生向け生成AI講座の教材パッケージを全国配布し始めたというニュースが出ていた。
特徴的なのは「授業台本」が完備されているという点である。
進行の仕方、児童への問いかけ、専門用語の解説まで網羅されており、教員が事前に教材を作り込まなくても45分の授業が実施できるように設計されているという。
また、13歳未満の利用規約に配慮して、児童が直接AIを操作するのではなく教員がデモンストレーションする形式を採用しているのも、現場での導入ハードルを下げる工夫だろう。
「準備できない」という切実さ
記事中でも触れられているが、生成AI教育への関心が高まる一方で、現場からは「準備時間の確保」や「専門知識の習得」が壁になっているという声があるという。
これは実感としてよく分かる。生成AIは技術の変化が速く、何をどう教えればいいのかが定まりにくい。しかも「やらなければいけない」という空気だけは確実に強まっている。
自信がないけれど、やらなければならない。このプレッシャーの中で「そのまま使える教材」へのニーズが生まれるのは、ごく自然なことだと思う。
ACEのような団体がこうした教材を無料で全国配布し、さらにアクセンチュア社員による教員研修まで用意しているというのは、そのニーズに対する一つの誠実な応答だろう。
台本があれば授業はできる。でも…
ただ、自分がずっと気になっているのは、こうした「すぐ使える」教材が充実すればするほど、教員自身が生成AIを自分事として理解する機会が遠のくのではないか、ということである。
台本通りに授業をすれば、確かに45分間の「生成AIの授業」は成立する。
児童にとっても、AIの仕組みやリスクについて知る貴重な機会になるだろう。藤川大祐先生の監修というのも信頼感がある。
しかし、生成AIというのは、使ってみて初めて分かることが非常に多い技術である。
プロンプトの書き方一つで出力が劇的に変わること、もっともらしい嘘をつくこと、自分の問いの質がそのまま返ってくること…。
こうした実感は、台本を読み上げるだけではなかなか分からない。そして、教員自身にその実感がなければ、児童の素朴な疑問や予想外の反応に対して、台本の外で応答することが難しくなる。
結局のところ、教材パッケージはあくまで「入口」であって、教員一人ひとりが生成AIに触れ、試行錯誤し、自分なりの理解を持つというプロセスを省略することはできないのだと思う。つくづく教員は大変である。
「外注」と「自分事」のあいだ
これは生成AIに限った話ではない。
「外部の専門家に任せる」「出来合いの教材をそのまま使う」という形で授業が回っている現場は少なくない。
それ自体が悪いわけではないが、そこに教員自身の問題意識や試行錯誤が伴わなければ、結局は「やった」という事実だけが残り、教育としての厚みは生まれにくい。
まあ…「それを言ったら全部そうじゃないか」と言われればその通りなのだけど…。
便利な仕組みができたことと、教員が主体的に学び続けることは、別の話なのだ。




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