
東京情報大学が本日の卒業式で、学長のボイスクローンと生成AIによる「AI学長式辞」を日本初の試みとして実施するという。生成AIが式辞文を作成し、AI音声で朗読。その後に学長本人によるリアルコメントも行われるらしい。
AI・データサイエンスを教育の柱にしている大学だから、ブランディングとしては筋が通っている。
ただ、なんだか不思議だなあという気がしている。
式辞は「誰が言うか」の行為である
卒業式の式辞は、内容そのものよりも「誰が、その場で、その人たちに向かって語るか」に意味がある儀式的行為だろう。
内容だけが大事なら、プリントして配ればいい。壇上に立ち、声を出し、目の前の卒業生に語りかけることで成立する何かがある。
そもそも卒業式とは徹頭徹尾「儀式」であり、効率だけで考えれば無駄だらけ。
しかしその非効率を共有することにこそ、区切りとしての意味が宿る。AIボイスクローンの「朗読」は、この儀式の構造そのものへの挑戦になっている。声の主は学長だが、そこに学長の身体はない。
興味深いのは、AI式辞の後に学長本人がリアルコメントを行う構成だ。
この構成自体が「AIだけでは足りない何かがある」ことの実演になっている。
もしAIとリアルの対比を体験させる意図的な演出だとすれば、なかなか考えられた設計だと思う。
ただ、それは卒業生にとっての一回きりの式典を、デモンストレーションの場にするということでもある。
まだ整理がつかない
正直、自分でもこの違和感の正体がわからない。「AIが悪い」という話ではない。
ただ…「今、ここで、この時間が終わる」という身体的な実感が大切なのだとしたら、AIがそこに介在することで、その「今、ここ」性が薄れることにどのような意味が?
…と言いつつ、「保守的すぎるだけでは?」という自分へのツッコミもある。
結論は出ないが、「式典にAIが現れる」ことが単なる技術導入ではなく儀式的な問いを含んでいるということだけは、記録しておきたいと思うのである。




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