
文科省の「図書館・学校図書館の運営の充実に関する有識者会議」が報告書「図書館が拓く未来の学びと地域社会」を公表した(2026年3月17日)。
日本教育新聞でもこの報告書について報じられている。
日本教育新聞の報道によれば、報告書では朝から放課後まで常時開放し、全ての児童・生徒を包摂する居心地のいい場としての支援機能の発揮を求めたとのことである。学校司書や司書教諭といった人材確保の必要性も訴えている。
また、文科省の報告書概要では、学校図書館の方向性として以下のように示されている。
学びの深化を担い、一人一人の「好き」を育み「得意」を伸ばす居心地の良い学校の「中心」へ
具体的には、あらゆる教科等での計画的利用や個別最適な学びのための機能強化、登校時から下校時までの常時開館と自由利用の推進、館内や隣接エリアへの個別学習ブースやラーニングコモンズ、「校内教育支援センター」の設置などが提言されている。
この方向性自体は、自分としてもよいことだとは思っている。
生成AIや探究学習の重要性が声高に語られる時代にあって、学校図書館の存在が改めて注目されるのは自然なことだろうと思う。
常時開館には人手がいる
ただ、理念としてはその通りだと思いつつも、現場の人間としてはどうしても気になることがある。常時開館を実現するためには、当然ながら人手が必要だということだ。
報告書では、地方公共団体に対して以下のようなことを求めている。
・図書館・学校図書館の運営に必要な予算確保 ・司書・学校司書の積極的採用・常勤職員の配置、司書教諭の確実な発令 ・司書等の研修のあり方の見直し、等々。
( https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_01613.html より)
言っていることはまったくその通りなのだが、問題は、それを本当に実現するだけの予算措置がなされるかどうかだ。
そもそも、これまで教員や学校教育に対してお金を割くことに対して、ずっと後ろ向きであり続けてきた。
教員不足が叫ばれても抜本的な待遇改善は進まず、学校司書にいたっては非常勤や会計年度任用職員としての配置が大半を占めている学校も少なくない。
実際に予算を確保して学校を助けてくれるのかということに関しては、正直なところ、まだ信用しきれないなと思う。
予算確保を「求める」のと実際に「確保される」のとでは天と地ほどの差がある。国が基準を改定しても、地方に予算がなければ絵に描いた餅だ。
サードプレイスとしての図書館を考える
自分がこの報告書を読んでいて考えたのは、学校図書館のあり方を「プラグマティズムに役に立つこと」だけに限定してしまわないようにしたいということだ。
探究に使える、調べ学習に便利、情報リテラシーが育つ…そうした「機能」の面が注目されるのは当然のことだし、それ自体は良いことだし、そういう役割が重要だ。
ただ、機能の話ばかりが前面に出ると、学校図書館の持っているもう一つの大切な側面が見えにくくなる可能性がある。それは、サードプレイス(第三の場所)としての役割だ。
報告書の概要では、「サードプレイスとしての取組」「立ち寄りやすさや居心地の良さ」という表現がある。
学校図書館は、教室とは異なる空気を持つことができる場所であり、教室とは違う身体性でいられる場所である。
学校図書館を学校の「中心」にするという理念は大切だと思う。ただ、その「中心」の意味を「教育的に有用な施設」だけに限定してしまうと、図書館がまた一つの「成果を求められる場所」になりかねない。
そういう伝わり方をしないことを祈っている。
余白を守るということ
「役に立つ」ことと「居心地がいい」ことは、重なる部分もあるが、本質的には別の話だ。
居心地のよさは余白から生まれる。
報告書をきっかけに、各学校で学校図書館にもう少し関心が向いてほしいなと思うところ。ただ、その議論が「どう活用するか」だけに終始するのではなく、「どう居場所であり続けるか」という視点も忘れないでいたいところだ。
そして何より、理念に見合うだけの予算と人手が本当につくのかどうか。そこなんだよなあ…。




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