
新学期が始まった。年度の始まりに改めて確認しておきたい調査がある。
今年1月にリシードが報じた記事で、社会構想大学院大学の中川哲教授らの研究チームが、小中学校における「ブラウザAI要約」の利用実態を調査した結果が紹介されていた。
3ヶ月ほど前のものだが、新年度に授業のあり方を見直す今だからこそ目を通しておきたい。
検索するだけで「AI利用」になる時代
この調査で際立っているのは、調べ学習にブラウザ検索を使わせている教員が71.5%に達する一方で、ブラウザAI要約を推奨している教員は10.1%にとどまるという落差だ。そして教員の指示なくAI要約を使っている児童生徒が38.5%、中学校に限ると51.3%にのぼる。
ここが問題の核心だと思う。
今のGoogle検索は、検索結果の上部にAIが生成した要約を自動的に表示する。先生が「ブラウザで調べなさい」と言っているだけでも、生徒は検索した瞬間にAIの出力に触れてしまう。
しかも、それを「AIを使っている」と自覚しているかどうかも怪しい。ただの検索結果の一部だと思っている可能性は十分にある。
こうなると「生成AIを使ってはいけません」という指導は、構造的にかなり無理がある。禁止したくても、禁止できる設計になっていないのだ。
シャドー利用という概念
この記事を読んで自分が初めて知ったのが「シャドー利用」という言葉だった。教員の指導の外側で行われるAI利用のことをそう呼ぶらしい。うまい名前をつけたものだなと思う。
記事では、この調査結果の意味を次のように整理している。
教員の多くが生成AIの利用を「推奨しない」とする一方、現場ではシャドー利用(教師の指導外での使用)が広がっており、方針と実態に大きな乖離が発生していることが明らかになった。
まさにこの「方針と実態の乖離」こそが問題だろう。
教員の目の届かないところでの利用を「シャドー」と呼んで可視化したことは意義がある。ただ同時に、教員がすべてをコントロールできることを前提にした設計自体に無理があるのではないかとも感じる。
検索エンジンにAI要約が組み込まれている以上、端末を渡した瞬間にアクセスは開かれている。管理で封じ込められる話ではないだろう。
先回りして限界を体験させる
調査ではさらに、AI要約の内容をそのまま使う児童生徒が約4割いるという結果も出ている。
検索して、上に出てきたものをそのまま写して終わり。比較も吟味もない。これでは調べ学習の意味がなくなってしまう。
でも、だからといって自力でインターネット上のサイトを読み比べて比較して、信頼度の高い情報をまとめるというのは、スキルとしては相当高度なスキルになるので、実はAI要約のほうがクオリティも高く、情報の信頼度の高いものを出してくる可能性すらある。
とはいえ、AIの要約を一次情報源と突き合わせてみると、出力がけっこう雑だったり、微妙にズレていたり、出典が曖昧だったりする。
そういう「限界」や「危うさ」を体感した上で、検索画面にAI要約が表示されても鵜呑みにしないという判断ができるようになる感覚が必要になるのかもしれない。
研究チームも具体策として、「生成AIが要約した情報の一次情報源へさかのぼる工程を記録する」こと、「AIの出力を結論ではなく、参考の1つとして扱う姿勢の育成」などを提案している。方向性としてはまったく同意する。
授業の外側の話
ただ、授業でこうした活動を一度やって終わり、では足りないだろうとも思う。
日常的に検索するたびにAI要約は表示され続ける。授業で感じた「ちょっと待てよ」を日常でも思い出せるかどうかは、普段の声かけや雑談の中で、情報との向き合い方についてどれだけ対話しているかにかかっている気がする。
AIを禁止するのは現実的に難しい。
かといって野放しにしていいわけでもない。表示されているものを参考にするかどうか、慎重に選ぶ力を育てるしかないのだろう。新学期の始まりに、改めてそんなことを考えている。




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