
四月の下旬になった。新年度が始まって、まだドタバタしている感じは残っているけれど、校内はやはり活発だ。
一年生は部活動のどれに入るかで悩み、上級生は新入生の勧誘で校内を駆け回る。この時期の学校は、一年のうちでも特に賑やかだと思う。
賑やかさの、その裏で
ただ、こういう活発な時期というのは、その裏で少しずつメンタル的に痩せ細って辛くなっている生徒が出てくる時期でもあるな、と感じている。
保健室の様子を見ていると、どうしても疲れてしまった生徒の姿が、ちらちらと見える日々が続く。
賑やかな時期だからこそ、そこに乗り切れない自分に気づいてしまう子がいるのだろう。周りが元気に見えるほど、自分の静けさが浮いてしまう。そういうことはあると思うのである。
新しいクラス、新しい人間関係、新しい時間割。
全部が「新しい」と冠されるこの季節は、裏返せば「まだ慣れていない」の季節でもある。慣れていない場所で、慣れていない人と慣れていない時間を過ごすのは、思っている以上に疲れる。そして厄介なことに、その疲れは「まだ始まったばかりなのに」という自己嫌悪とセットでやってくる。
「ちょっとした」逃げ場のこと
学校生活は、そのすべてが思いどおりにいくわけではない。
だからこそ、なんというか、ちょっとした逃げ場というか、ちょっとした避難場所みたいなものが、いろいろな形で校内に用意できたらいいなと思う。
「ちょっとした」というところが、実は大事だと思っている。
立派な相談室とか、正式なカウンセリング体制とか、そういうきちんとしたものももちろん必要なのだけれど、それだけでは拾えない領域がある。
「ここなら少し休めるな」「この先生のそばなら少し落ち着くな」と感じられる、名前のつかない場所や関係。そういうものが、校内のいろんなところに点在している状態が理想なのではないかと思うのである。
保健室はその代表的なひとつだろう。
図書館もそうかもしれない。誰かの準備室の隅っこだって、場合によってはそうなりうる。
「正式な避難場所」ではなく「結果として避難場所になっている」くらいの緩さが、たぶんちょうどいい。
でも、人手が足りない
だがしかし。 学校という場において、人手が足りていないというのは事実である。
誰かに話を聞いてほしくてグッとこらえて待っている子どもがいる。それは見ればわかる。
わかるのだけれど、その子に時間を100%割けるかというと、現実にはやはり難しい。
そこに腰を据えてしまうと、授業準備や会議や事務仕事や、ほかの子の対応が全部止まってしまう。止まるだけならまだしも、あとでツケが回ってきて、また別のところで余裕がなくなる。
余裕がないことがいろんなことを難しくしている。
避難場所を用意しようにも、その場所を誰かが見守らないと機能しない。関係性でつくる避難場所なら、関係性を結ぶ時間がいる。その時間を、今の学校はなかなか確保できない。だから「気づいているのに、すぐには動けない」という、いちばんつらい状態にしばしば陥る。
できることを、小さく
ならどうすればいいのかと問われると、歯切れの悪い答えしかできない。構造的な問題は構造的にしか解けないので、ひとりの教員ができることは、正直かなり限られている。
新年度の賑わいが一段落する五月の連休明けになると息切れしてくる子がいる。
そのときに備えて、今のうちから少しだけ、自分の時間の使い方を整えておきたいなぁ、と思う四月下旬なのである。





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