ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

U-18アーティストコンテストだって

デジタルハリウッド大学が主催する「U-18アーティストコンテスト2026」で、従来の3DCG・イラスト・映像の3部門に加えて、エキシビションとして「AI作品部門」(動画)が新設されるという。

prtimes.jp

応募締切は2026年7月7日とのこと。なかなか興味深い動きである。

「エキシビション」という距離の取り方

注目したいのは、AI作品部門がグランプリ選考の対象外になっているということ。つまり、他の部門と完全に同じ土俵に並べているわけではない。「お試し」「実験」のための枠が作られている。

これは賢明な判断ではないかと思う。

生成AIによる動画作品をどう評価するか、何を評価軸とするか、評価する側もまだ手探りの段階だろう。そういうなかで通常の競技として既存部門と並列に置いてしまうと、評価する側の準備が追いつかないまま「順位」だけが独り歩きしてしまう恐れがある。

エキシビションとして一段距離を置きながら、まずは応募作品や応募者の動向を見て、知見を積み重ねていく。手堅い設計の仕方なのである。

年齢制限という見落とされがちな現実

ただ、安易に「AIで動画を作ろう」と呼びかけてしまうわけにもいかない事情がある。

主要な動画生成AIサービスの多くは、利用規約で18歳以上を求めていたり、未成年の場合は保護者の同意を必要としていたりする。サービスごとに条件が異なり、しかも頻繁に変わる。

それは決して「使うな」という話ではない。

ツールを選ぶ段階で、利用規約をきちんと読む。入力したデータがどう扱われるかを確認する。生成物の権利関係を理解する。指導者や保護者がどう関わるかを話し合う……。

動画生成AIを使うというのは、ただ派手な映像を出力する話ではなくて、こうした周辺の知識と判断とがセットになって初めて成り立つ。

学校の課題や部活動での制作物も応募可能と謳われている以上、現場でそういう手続きを丁寧にやっていく必要があるだろう。

「使ってみたい」と思った瞬間にすぐ使えるわけではない、そのもどかしさも含めて取り組むということだ。

で、何を競っているのだろうか

そして、ここがいちばん悩むところなのだが——AIを駆使した作品をコンクールで競わせるとき、いったい何を競っているのだろうか。

批判とかではなくて、純粋に自分の中の問いである。

プロンプトを書く言語化能力なのか。ツール選定と組み合わせの妙なのか。

最終的な映像としての完成度なのか。「アイデアと表現力の総合」と言ってしまうのは簡単なのだけれど、それなら既存の映像部門と何が違うのかという問題が出てくる。

わざわざ独立させたということは、AIを前面に出すことに固有の評価軸があるはずなのである。

でも、それが何なのかは、自分には、まだ言語化されていない。

「AIを使うこと」自体が新しいうちは、それを使えたというだけで価値が認められる時期がある。だが、それはじきに終わる。

そのあとに残るのは、結局のところ「で、何が面白いのか」「何に心が動かされるのか」という素朴な問いなのだろう。

AIを使わなければ作れなかった表現があるのか、それともAIで作りやすくなっただけの既視感のある表現に終始するのか。

そこを見極める眼が、評価する側にも、作る側にも問われていく。

それでも場が開かれることの意味

競うことそのものが目的化してしまうことは避けたいところだ。

けれども、こうした場が用意されることで、若い世代が「とにかくやってみる」契機になるのは悪くない。エキシビションという慎重な枠組みのなかで、応募者も主催者も一緒に試行錯誤するというのが、いまの段階での誠実なあり方なのだろう。

自分たちが何を見ているのか、何を価値だと思っているのか。

それを問い続けながら向き合うことが、結局のところ作品を出す側にとっても、見る側にとっても、いちばんの学びになるのではないだろうかと思うのである。

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