
日経新聞に「自称進学校」を扱った記事が出ていた。
全く看過できない。
学校の自浄作用のなさは、確かに非難されてよい
生徒の希望を学校が捻じ曲げて進路指導するのは、言語道断である。記事中のタカシ(仮名)のケース…薬学部志望の生徒に歯学部や工学部の受験を勧めるような指導が本当にあるなら、合格実績稼ぎの思惑が見え隠れすると書かれても仕方ない。
学校には、過去の成功体験を手放せないまま「謎ルール」として固着しているものが山ほどある。ブラック校則と本質的には地続きだろう。
自戒を込めて言うのだけど、学校の自浄作用のなさは非難されてしかるべきだと自分は思う。
東大合格者数を急増させている公立校のえげつない実情や、私立校の締め付けの過熱ぶりなどは、それこそ責任ある新聞社に取材してもらって、記事にして暴いてほしいくらいである。
ただ、蔑称まがいの呼称を見出しに使うのは…
引っかかるのは別のところだ。
「自称進学校」というネットスラング、ほぼ蔑称のような呼称を、大手紙が見出しにそのまま使うことについてである。アテンションエコノミー向けに、炎上しやすく拡散しやすいタイトルを安易に選んだのだなぁ…という不信感が強い。
それから、本文中の「レアケースが絶対視され、合わない生徒にも同じ苦行を強いてしまっている」というくだり。世の中の進路指導の先生の大半は、生徒の希望を叶えるためにそれこそ割に合わない仕事をやっている。
にもかかわらず、ユミとタカシという(実在するかもわからない)二人のケースを「自称進学校」全般に当てはめて断定するこの記事の論法は、批判対象の「レアケース絶対視」と何が違うのだろうか…と思うのだ。
進路指導は、本質的に「割に合わない」仕事である
同情を求めても仕方ない話なのだけど、現状の入試制度のなかで、進路指導は本質的に割に合わない仕事になっている。
大学は推薦書の整備を高校に求めるし、英語外部資格試験の原本証明まで当たり前のように高校側に押し付ける。
受験時期は生徒募集の都合でどんどん前倒しになって、高校の教育課程を圧迫している。入試の出題は旧態依然としていて、学習指導要領に沿った指導を難しくしている原因の一つでもある。
総合型選抜・学校推薦型選抜などについては、生徒一人を見るのに恐ろしい量の時間がかかる。1000字程度の書類であっても、一ヶ月以上の指導がざらに必要なのである。
だから、ある程度のパッケージ化が進んでいくのは理解できる。ただ、その結果が「自称進学校の思い込みの激しい指導」と表裏一体になっているのも、また事実なのだろうと思う。
そして、入学前にリサーチはできるはずである
その学校が「自称進学校」かどうかは、入学説明会や評判から、ある程度はリサーチできるだろう。進学実績の数字を見て入学しているケースも多いはずだ(ただし、地方の場合は他に選択肢がないということもあるので、ここは一概には断言できない…)。
突然、進学指導に力を入れて生徒を振り回し出すというよりは、おそらく「面倒見がよい」「塾に行かなくても大丈夫」と学校説明会で宣伝して、それで生徒を集めている可能性が高い。
それに納得して入学している家庭は、決して少なくないと思うのだ。
私立であれば、それは直接的に宣伝であり学校の魅力として打ち出されているケースが多い。公立がそれをやることには…まあ思うところもあるけれど、都立や神奈川県の様子を見ているとアレである。
本丸はもっと別のところにあるのではないか
突き詰めれば、難関大学の合格こそが素晴らしいことだという価値観が固まっている社会の構造の結果として、生み出されているのが「自称進学校」と呼ばれる仕組みではないだろうか。
責任ある新聞社ならば、少子化で子供がどんどんいなくなっている時代に、いまだに偏差値モデルで大学合格を競わせ、人間を序列化する価値観を持ち続けている、その社会の側を批判してくれないかと思うのである。
自称進学校を生み出しているのは、自称進学校を自称進学校と馬鹿にしながら、難関大学合格の価値を異常なまでに賞賛している、その構造の方ではないか。
そちらの方が、よほど異常だと自分には思える。




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