
日本教育新聞の電子版で、国語ワーキンググループが高校国語の履修モデルを示した、という記事を読んだ。
中教審の教育課程部会・国語WGが5月29日に第10回会合を開いて、次期学習指導要領の高校国語科について、事務局が履修モデルを出したという話である。
4単位の標準科目を2、3年次に分割して履修する例などが示されているそうだ。
これまでの議論では、「現代の国語Ⅰ」と「言語文化Ⅰ」を必履修にして、標準的な選択科目として「現代の国語Ⅱ(仮称)」「言語文化Ⅱ(仮称)」を新設、さらに「論説と批評」などの発展的な選択科目を四つ設ける方針だったという。
標準科目が4単位、発展科目が2単位。今回はそこに、標準科目を分割して学ぶ例と、標準科目を減単して発展科目を学ぶ例とが添えられた、ということになる。
まだ決まっていない段階の話ではある
正直に言えば、次期学習指導要領の中身がまだ固まっていない段階での履修例なので、ここをあまり神経質に読んでも仕方がない、というのはある。たたき台の、そのまた手前くらいの段階だ。
ただ、こういう会議体が出す「例」というのは、わりと権威性を持ちやすいなぁと思う。
校内でカリキュラムをどう組むかという話になったとき、「中教審のWGがこういう例を出している」というのが、いつのまにか議論の根拠として効いてくる。本当に妥当かどうかというより、根拠として持ち出しやすい構造がある、という話なのである。
分割履修で示すなら、そもそも単位数を…
それで肝心の履修例なのだけれど。4単位の標準科目を分割して履修する形で示していたり、標準科目を減単して発展科目に振り向ける例を出していたりする。
……だったら、そもそも単位数をだな、と言いたくなる。分割や減単を前提にした例を並べるくらいなら、最初の単位の置き方をどう考えているのか、というところがどうしても気になってしまう。
委員からも、単位数を増減するときの基準を示す必要があるのでは、という趣旨の声が出ているようで、まあ、そこは現場も同じことを感じるだろうと思う。
例示が増えていくことと現場の主体性
これは自分が現行の学習指導要領でもずっと感じていることなのだけれど、細かいところへの例示が年々増えている気がする。
履修の組み方、単元の例、評価の場面。親切といえば親切なのだろう。
でも、権威性のあるところから例示がどんどん増えていくと、現場の教員の主体性はどうなってしまうんだろう、とも思う。
例示は本来、「こういうやり方もあるよ」という選択肢のはずだ。それなのに出どころが強いと、いつのまにか「正解」として一人歩きする。そうなると、目の前の生徒を見て自分たちで組み立てるという、一番大事なところが痩せていきかねない。
まあ、まだ何も決まっていない段階での感想ではある。
ただ、決まる前のこういう段階だからこそ、現場の側も「例示をどう受け取るか」を自分たちで決めておきたいところだなぁと思うのである。




このブログについて
