ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

面白がること

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羅生門にいよいよ突入したけど、年々、シビアに難しさを感じている。

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三年前から進歩がないどころか、余計に悪化しているように感じているのだが…

授業時間がないけど

もう毎回嘆いているけど、授業時間がない。今回は実質5時間で羅生門である。丸々通読するだけで1時間かかるのだから、もう本当、時間がない。

どうやって書いたり読んだりすればいいのよ……と思うのだが、もうあきらめの境地である。足りないものは足りない前提でやるしかない。

出てくる感想も、年々、厳しくなっている印象がある(というか手元の記録と比較して感じる)が、生徒の持っている能力のせいにしても仕方ないし、そもそも「羅生門」という素材に執着のない生徒に、とりあえずいいから読め、ということが厳しくなっていくのはある程度は仕方ないのである。

それはそれとして、そのスタート地点からいかにして、「そんなに悪いものじゃないかも」「つまらないものでもないかも」という気持ちになってもらって「なんだ読めるじゃないか」とのめり込んでいってもらいたいなぁと思うのである。

自然な読み方しているだけじゃ、食えないものはいっぱいあるのだということを分かってもらったうえで、自分たちで「物語を読む」ということを少しでも考えられればいいな。

教室における読みのカリキュラム設計

教室における読みのカリキュラム設計

 

もう、今あるところからきちんと進むことを考えるのである。

逆にいえば、生徒の少しでも見せる反応を一つ一つ面白がっていきたいなと思うのである。生徒の書いてくるものは決して優れてはいない。誤字は目立つし、論理は破綻しているし、中途半端に終わっているし……枚挙に暇がない欠点だらけだが、それでも少しずつ、何かしら思考の跡があるし、意外な発見がある。

生徒の書いてくるものに面白がるだけの観点を自分が持てるか。

見えないところで手を加えつつ

生徒の書いてくるものを生徒にそのまま考えなしに差し出しても、それは授業にならない。

生徒の目にははっきりと分からないだろうが、生徒の感想を意味があるように編集して、手渡すことで、自分たちで何かできるという手ごたえをもって進んでいけるのである。

必要なことを準備し、あとはじっくりと待つということ。

授業の時間は生徒のためにある。自分が不用意に使い倒していいものではない。

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