本日で初回の記事から丸々三か月間、毎日、欠かさずブログを更新し続けたことになります。
駄文乱文そして無駄に長文を書き続けて三か月、テーマがニッチなだけに細々とやっていますが、継続だけは達成できています。
日々の生活に変化があるのかをレポートします。
なお、近々、100日達成となりますが、その時にも同じような話をするのはご愛敬である。ネタ切れとの闘いである。
自分が書き手であることと授業の関係
ブログを書いている理由の一つとして、自分が書き手であることで授業に何か好循環をもたらすことができないかなぁということがあります。
実際、この点については現実は甘くなく、それほど何か目に見えて大きな成果を得ることができたという感覚はありません。
ただ、授業において書かせることについて、負担が大きいということを言葉よりもより具体的な実感として持っているので、どんな課題を課すのかということについては、神経をつかうようになったような気がする(当社比)
また、自分が文章を書いて恥をさらすことに慣れてきたということもあるせいか、授業内の創作をするときに、生徒に作品を作らせている一方で、自分も一緒に黒板に創作の過程を書いて見せることの抵抗感がなくなったので、「書いている姿」を見せるということを授業でやるようになったかなぁという気もする。
現在のところ、授業では「要約」と「短歌の創作」をやっていますが、そのどちらも自分がどんな過程でやっているのかを見せることを取り入れてみましたが、自分のやり方と合う生徒がいる一方で、合わない生徒がいることもわかり、色々と作業が活発化したのは良いことかなぁと思います。
日々の振り返りをして時間が長くなった?
ネタ切れの副産物というべきか、毎日、継続してブログを書くために、とにかくネタを探して生きている気がします。
もちろん、ストレスになるほど考える気はないので、気楽に自分の生活の中から探して書いているだけなのですが、それでも自分のやっている授業のことを振り返ったり、自分の問題意識を考えたりする時間は長くなったような気がします。
ダラダラと長いせいであまりバズることもなく、そして、あまりコメントを得ることもなく細々とやっていますが、こうしてある程度まとまった量ができあがってくると、自分の問題意識の偏りや知識の足りなさがよく分かってきます(泣)
でも、こうやってしつこく書いている成果もあって、たまにツッコミをもらえると、自分が知らなかったことを知ることも多いので非常に助かっています。
授業の引き出しは増やしておきたいのです、どんな形であれ。
仕事との両立はどうなのか
テストの作問の期間はキツイ。時間がそもそも足りないのと、学校でもパソコンをひたすら打ち、家に帰ってからもパソコンを打ちでは、首が痛くなってきて敵わない。
物理的な時間については考えるべき点もあるかも知れない。だいたい、記事を書くのに小一時間くらいかかっているので、その時間があれば軽い小説や新書なら一冊ちかく目を通せるため、本を読む時間が減ったような気はする……。
授業に関係のある本を読む時間は減っていないのだけど、生徒に勧める本を選ぶための読書や趣味の読書の時間が削られている気はする。
ただ、その分、ブログを書くために調べ物をして、テーマについての確認や再読はかなりしているので、プライベートで何を優先するのか……という取捨選択とも関連しそうだ。
だから、現在のところは、休みに下書きとして小ネタをいくつか準備しておき、平日の退勤後の隙間時間に内容を調整し、それぞれの記事を予約投稿するという形で継続している。厳密に言えば、毎日書いている訳でもないのか(笑)
教員としての成長は?
ニッチなテーマかつ自分がそれほど他人に絡みにいかないので、期待したほど交流が増えたわけではないのは残念(こちらはいつでもウェルカムである。野球ネタは喧嘩になるので放っておいてください。)だが、それでもたまにもらえる意見から色々なことを考えることができている。
書くスピードは……それほど上がったような感じはしない。ただ、自分の持ちネタの少なさはよく分かった。
それでも平均すれば生徒よりはよほど話題に事欠かないはずなのだから、生徒が書きあぐねる理由である「何を書くのかわからない」という「書くべきことがない」という感覚を無視できないなぁという実感は持てるようになった。
あまり成果を焦らず、振り返りを中心にやっていこうと思います。
今後も、当ブログをよろしくお願いします。ニッチですがたくさんの方に読まれていることに感謝申し上げます。