こんな記事を見た。
まあ、「受身的」という書き方をするのは、アクティブ・ラーニングを念頭に置いているのだろうけど、こんなことが書かれていた。
日本の高校生が受けている授業は米国、中国、韓国に比べて受け身的で、生徒はきちんとノートを取る一方、居眠りをする割合も高く、グループワークなどへの参加は消極的という調査結果を、国立青少年教育振興機構が13日に発表した。(2017年3月14日19:00確認)
ここだけ見ると日本の高校生が非常に怠惰で勉強しないような印象を受けるけど、実際はどうなのだろうかという話をしようと思う。
まずは、ソースをちゃんと確認しましょう
国立青少年教育振興機構が発表した調査結果だというので、まずはきちんと発表資料に当たることにしましょう。
高校生の勉強と生活に関する意識調査報告書-日本・米国・中国・韓国の比較-
こちらを見ると今回の調査結果のまとめと解説が載せられている。
特に注目すべきは、調査の概要について明石要一先生が解説している次のPDFだろう。
少し長くなるが重要な指摘を引用してみると…
4か国の比較調査により、日本の高校生の勉強観と人生観がくっきり浮かび上がってきた。(中略)日本の高校生は宿題も一番しないし、宿題以外の勉強もしていない。
ここで問題にしたいのは、勉強に対する姿勢の希薄さだけではない。勉強の仕方が気になる。(中略)日本の高校生は「試験の前にまとめて勉強する」だけである。かつて言われた「一夜漬け」型の勉強の仕方である。これでは学習内容がなかなか定着しない。試験が終われば消え去る可能性が高い。
こうした高校生が出現する背景には、彼らが日常に受けている授業の形態と授業態度が考えられる。日本が一番多い授業形態は「教科書に従って、その内容を覚える授業」という受け身的なものが多い。
(中略)また、こうした受け身的な態度は「勉強がわからない」ときの対処の方法にも現れる。(中略)日本ははっきりした特徴はみられない。「わからないままに」しておきかねないのである。
(中略)こうした勉強に対する構えが、彼らの人生観にも色濃く反映しているようである。将来受けたい教育は四年制大学止まりでよいと思っている。大学院志望が米国、中国に比べて少ない。それから、将来の人生目標も社会的な達成よりも今の生活を保障する内向きの安定志向を望んでいる。
こうした指摘をよく見直してみると、新聞記事で紹介されているよりも深刻な状況にあるように見える。
実はこの調査で調査されている項目は単純なやる気に関わるようなものだけではなく、どのような授業を受けているかということやどのように学習に取り組んでいるかということだけにとどまらず、将来の自分のキャリアや生き方をどのようにしていくかということにまで及んでいる。
それらの項目の四か国間の比較をみると、日本の学校現場が「生徒が勉強しなくて仕方ない」くらいのレベルのことでは済まないような恐ろしい状況にあることが見えてくる。
何のための勉強かが見えていない子どもたち
やや誇張した言い方をしているのは否定しないが、自分はこの調査のデータを見て「やっぱりな」と思いつつ「これは非常に恐ろしい状況だ」と心の底から感じている。
一つ一つの項目については、例えば「勉強は好きか」ということや「将来どうするか」ということなどについてのデータは、答申などでも言及されていたことであるし、色々なところで指摘されているような結果であるので驚きこそしなかったものの、四か国の比較ではっきりと一度にデータとして示されると、その危うさを強く感じる。
その子どものイメージ像とは「勉強に対して自信も意欲もないが、現状の生活を維持しようとする安定志向のために、キャリアのイメージもなく取り合えず大学には行く」というものだ。
こういう言い方をすると辛辣かもしれないが、多くの大人が「お前は何のために学校に来ているんだよ」と詰るような子どもの姿に近いイメージだ。
自分の興味関心から言えば、「将来のイメージ」が非常に内向きであり、具体的な生き方のイメージを持たずに、嫌々ながらも仕方なく勉強していることに強い問題意識がある。上の明石先生のコメントにもあったが、結局、何か学習において問題があっても、課題を解決しようと能動的に動くこともなければ、知識を活かすことに対する意欲も低い。教員に対する尊敬もしないが、ノートをとりあえず写しておいて、試験前に言われたことを一夜漬けでやり過ごす……そんな姿が見えてくるのである。
この問題の原因は子どものせいではない
このような子どもたちが大人になった時に、この激動の時代において社会に出たときに、果たして「一人前に食べていけるだけの生活を送れるのか」ということが本気で心配になってくる。
新自由主義的な「自己責任論」を振りかざして「適応できないのは自己責任だ」というのはたやすい。しかし、学習に対する無気力や将来の展望のなさというものが社会の構造的な問題だとしたら、それを放置して、すなわち学校の在り方が何も変わらないで、子どもだけが無責任に学校の外に追い出されることになるのだとしたら、それは「自己責任」といって個人に責任を押しつけていいことなのだろうか。
自分は教員である。だから、これだけ学校の構造に問題があることが明らかであるのに、学校の現場は「今までのままでいい」という現状維持をしていこうとしているのを目の当たりにしていると憤りを堪えることはできない。
京都大学の溝上慎一先生はご自身のサイトで次のような論考を述べている。
この学校の社会的機能の問い直しのもと、教師は何のために生徒学生を教育・指導しているかと自らに問わねばならない。筆者の回答は、それは生徒学生が卒業後、力強く仕事をし社会生活を営んでいくためであるとなる。高校でいえば、決して大学受験のため、学校の進学実績を上げるためではないはずである。ここは、理想を振りかざすようであるが、真正面からきれい事をいっていかなければならないところである。
このブログでも何度も紹介してきた溝上慎一先生の「社会へのトランジション」という問題が、まさに可視化されたのが今回の調査結果だと思う。
「教師は何のために生徒学生を教育・指導しているかと自らに問わねばならない」という指摘に対して、真正面から回答できる教員はどれくらいいるのだろうか。ややもすれば「学力向上(=入試や模試でいい成績を取ること)」だとか「基礎基本を教える(=ただの丸暗記)」だとかの短絡的で姑息な回答を真顔でする教員ばかりなのではないかと憂鬱な気持ちになる。
あすこま先生の次のツイートを思い出す。
「あなたの学校は普通じゃないから」という言い方でやんわり拒否する人の中には、こっちがその「普通」に近づけようとしても「いやいや、あなたはまだ普通じゃない」と言い続け、しまいには「うちにも実は特殊な面があって...」と、永遠に「やらない/できない言い訳」探しをする人もいる。
— あすこま (@askoma) March 11, 2017
教員の内向きであり、現状維持をしたがる言い訳探しには本当にうんざりとする。
アクティブ・ラーニングは魔法の杖ではないけど
決して、アクティブ・ラーニングをすれば現状の問題がすべて解決するというわけではないけど、ここまで閉塞感のある状況を根本的に変えていくためには、授業のスタイル自体を根本的に変えるしかないだろうと感じる。
少なくとも「分からないことに対して解決をしないで済ませてしまう」「習ったことを活用しようとは思わない」「将来の見通しも学習への自信もない」というような状況を目の前にして、今までの一斉授業ですべてを解決しようというのはいくらなんでも楽天主義が過ぎるのではないか。
一斉授業で一時的に面白おかしく授業すれば生徒を引き付けることはできるかもしれない、でも、活動のない抗議型の一斉授業で「活用する」という態度は育つのか、自分以外の授業があてにならないとしても生徒は学習に意欲的になるのか、自分が100%の子どもから受け入れられると思っているのか、たった50分の授業で教科のみならず社会との繋がりを説けるのか……どれか一つを無視したっていいことではない。もちろん、アクティブ・ラーニングがすべてを簡単に解決してくれるわけではないが、上に挙げた観点については、講義型の一斉授業を漫然と続けるよりも多少はマシである。
また、形だけのアクティブ・ラーニングに対してもこうした観点から警戒しなければいけない。活動させれば学習への意欲は高まるのか、活動させることでわからないことを解決することに対して粘り強くなるのか、居眠りさえさせなければ他の問題を新聞記事のように都合よく見ないふりしてもいいのか……常に問い直されなければいけない。
最後は個の問題になる
ただ、最後の最後は子ども自身の問題だということも忘れてはいけない。どんなに面倒を見たとしても、卒業後まで子ども追いかけて面倒見ることはできやしない。
よく中学校の先生に多いが、自分の生徒がかわいいものだから何でもかんでも失敗しないようにお膳立てして舐めてかわいがるような真似をする教員がいるが、そういう教員のそういう指導は、本当に生徒のためになっているのかは甚だ疑問だ。
生徒のための学びではなく、自分の仕事に対する満足度を高めるだけであって、何も子どもに残していないのではないか。
面倒を見る、失敗しないようにする、寄り添って励ます……どれも字面は美しい。でも、そうやってやらなくてもいい仕事を増やして、本当に必要なことを問わないで、自己満足しているのは、いい子ではなく、都合のいい子を育てているだけだということを強く非難されるべきだろう。
蛇足
これだけ暗くなるような項目の多い中で、日本が比較的多く回答している項目がある。
それは「学校が好き」という項目だ。
授業に後ろ向きだし、先生も尊敬しないのに……なぜ?
もう一つ、多かった項目がある。
それは……
「部活動に積極的に参加している」
優先順序を整理しないとダメじゃないか?