ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

授業の射程はどこまで

Reaching

八月に入ると夏休みももう終盤に差し掛かったような気分になります。

まだまだ時間があるようにも感じますが、あっという間に九月が来るだけに、授業をどうするのかということをよく考えておきたいところです。

見せたい資料はたくさんあるけど

三年間を持ち上がってきた子たちなので、この最終コーナーを曲がったラストスパートで何を教えたいのか、自問自答しているといくら時間があっても足りません。

学年や学校としての課程もあるので、教科書を中心にやってきたわけですが、ここからは「入試対応」ということもあって、何をやるのかということについてかなり自由にできるだろうなぁと思っています。

もちろん、問題集を淡々と進めても良いのですが、積み重ねてきたからこそ近年発売になって教科書には出ていないような書籍から資料を作ったり、もっと小論文でよく出てくるような統計資料のようなものを読ませて、考えさせてみたりしたいなぁ…という気持ちがあります。

たとえば、教科書にはこれだけ流行っているのにAIは載せようがないわけですが、せっかく読む時間があるのに読ませないでおくのもなんだかなぁ…と思ったりするわけです。

まあ、入試の小論文もかなり面白いネタが多いので、それでもいいのですが。

何のために読ませるの?

第一義的には、「入試のため」ということで、内外どちらを向いても言い訳は立つのだけど、でも「ちょっと待てよ」という気持ちにはなるのです。

なかなか入試で扱うような文章は、誰かに紹介されなければ読まないだろうなぁとは思う。だから、ある程度、授業者が恣意的に傾向を考えて、読ませてもそれほど悪いことではないと思う。いや、入試問題ってやっぱりよく練られて作られているので、特に小論文などは、世相を理解するのにかなり役立つと思うのだけど、しかし、それでも、その素材を読むに値するだけの理由ってあるのだろうか。

素材がよいだけに「読ませたい」と思ってしまうのだけど、その短絡的な判断で大丈夫なのかと、立ち止まらないといけないよなぁと思う。流行りの素材は、裏を返せば流行を過ぎてしまえば、別の流行にとって代わられてしまうわけで、もっと別のことをやっておいたほうがいいんじゃないかと悩ましい。

やらないよりはやったほうがマシ。でも、そんな消極的な理由で残り少ない授業を繰り返し、卒業させてしまってよいのだろうか。一体、自分は何を身につけさて、卒業させたいのだろう。

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