自分の授業はAL型授業です……というのも気持ち悪いのだけど、まあ、一応、各種定義には当てはまっているし、教員である自分より生徒のほうが動いているのでALといってよいでしょう。
まあ、そんなこともあっていろいろ聞かれることもあるのだけど、たいていの場合、素っ気なく返すことが多いのですが、少しだけネタを紹介すると、大学入試問題が意外とAL型授業の課題づくりには向いていると紹介しておきます。
小論文はネタの宝庫
国語の授業なので「読んだり書いたり」ということは当たり前なので、割と無加工で、そのまま生徒に解かせてもよいかなぁと思うくらいに、大学入試の小論文の問題はとても工夫されている。

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小論文に限らず、総合問題なども非常に内容が高度で取り組み甲斐がある。それだけに市販されているテクニック重視の問題集くらいでは全然クリアできないし、文章が上手い下手程度の添削しかできないのでは、何も指導したことにならないので指導する側としてはなかなか厄介だ。
逆に言えば、それだけ様々な観点を含むのだから上手く使いこなせば、授業のネタとして非常に使いやすい。
最新の社会問題を学部や学科の特色から切り取ったものもあれば、流行とは無関係や不易の思想を解かせるような問題もあり、さらには教科横断型に近いようなものもあるので、まさにこれからの授業で実践してみたいような題材だと言える。
例えば、広島大学のように大量の文章の中からいくつかの文章を自分で選ばせて小論文を書かせるような形式もあれば、慶応SFCのように毎年予想もつかないような角度から投げられる問題もあれば、愛知教育大学のように学部の特色を前面に出して解かせるような問題もある。
本当、資料の選び方や提示の仕方は、授業で資料を探すうえでもとても勉強になると感じる。
でもね、間違ってはいけない
今の入試問題がAL型授業に使いやすいからと言って、「今のままの授業の延長でALは十分だ」だとか「こういう入試問題を真似していればALになる」だとかいうのは、やはり高校教員の言い出しそうなよくない発想だ。
まず、前者については、学校の授業がこの手の小論文や総合問題に現状、ほとんど役に立っていないことをよく考えるべきである。世の中のほとんどの受験生が、受験期になると参考書や塾に頼りきりになったり、教員に慌てて個別指導を受けたりして、やっと何とか書けるようにしているような状況だ。
つまり、普段の授業が全然、この手の総合問題に対応するような学力の指導になっていない、「縦割り」されたもので文脈から切り離されてしまっているし、実社会の問題の解決にすぐに使いこなせないようになっている。
今の授業の延長線上にこの手の問題が解けるようになる学力はない。教科でタコツボ化しているだけでは太刀打ちできないし、国語に限ってみても何時間もかけて十数ページの文章を読むような「ちんたら」とした読み方では、情報を使いこなして書くなんてできない。そもそも、授業で書く回数がゼロって珍しくないって言われてましたし。

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むしろ、入試問題を解けないことをちゃんと受け止めて、授業の偏狭さを見直したほうがいいと思うの。
また、入試問題を真似ればよいというのも筋が悪い。面倒なので結論だけにするけど、そもそもこういう入試問題は「アドミッションポリシー」に基づいて、学部学科の特色を前面に打ち出して、その学部学科に見合った資質と能力を持つ生徒かを試す問題になっている訳で、そこには明確な狙いやビジョンがある……はず。
換骨奪胎…ならまだマシだけど、羊頭狗肉になりかねない。見た目が同じでも、授業者に狙いやポリシーがはっきりとしないものを生徒に投げても酷いことにしかならないのである。
大学入試の問題は、思い込みで世間が言うほど思考力軽視の問題ではないし、知識偏重になっているわけではないけれども、非常に骨太な知識や価値観を持って、なおかつ我慢強く考え抜く力がないと太刀打ちできない問題になっている。嫌な言い方するとおそらくその大学の受験生の学力には不相応に難しい問題を出す大学だって少なくないけれども、それでも大学としての特色ははっきりと出ているからこそ問題が面白いのだ。
そういうこだわりを感じるものを、素材だけ持ってきて、やらせるだけでは何も意味がない。授業としてどんなことを子どもたちに狙っているのか。
形を真似するのではなく、きちんと「なんのために」という子どもの視点に立って考えていかないとダメですよね。
使えるものは世の中に多い。でも、人が一生懸命考えて出してきたものにフリーライドしてはいけません。