最近、こんなことがニュースになっていた。全然、忙しくてコメントできていなかったのだが。
経産省が中心となって提言を行っている「未来の教室」事業である。この事業については、自分もかなり衝撃を受けて、注目し続けている。
採用されている企業の名前を見ると、ちょっと色々と思うところがある場合もあるのだが、まあ、それはそれとして、学校自体が相対化されること自体は意義のあることなのではないかと思う。
学校中心から脱していく
実証事業のキックオフイベントも先日行われたばかりだ。
この記事ではこのイベントのことを
実証事業を通じて「未来の教室」が目指すのは、「ワクワク・意欲・志」との出会いが核となり、プロジェクトベースの「探究」とひとりひとりの能力や環境に応じて個別最適化された「学習」が有機的に連携している姿である。
と表しているが、この考え方は自分は全面的に支持したい。
様々な機会を見て、自分は繰り返し主張しているけど、「系統主義」的な事項は早々と脱出して、「真正の学び」と言えるような切実なものを授業では時間をかけるべきだと思っている*1。
だからこそ、こうやってプロジェクトベース学習をたびたび言っている*2。
明確に述べておきますが、自分がこの企画に興味を惹かれる点は以下の点です。
- 知識を軽視するのではなく、習得にかける時間を圧縮できるものは圧縮し、より現実の社会の文脈に近いことに時間をかけたいと考えていること。
- 「教室を科学する」ことで、暗黙知になっている部分やボトルネックになっている部分に向き合おうとすること*3。
- 「“体験”は問題の本質」という視点。また、「はいずり回る経験主義」があったことを分かった上で「実証実験」でそれを乗り越えることを試みようとしていること。
- トライ&エラーで進もうとするスピード感
逆に言えば、簡単に「学びの生産性」ということには、自分自身がちょっと躊躇を感じる部分もありますし*4、経済界のやりたい放題には辟易することも多いので、安易に近づいてくる企業になびくのは、教員の姿を間近で見ている身としては危機感を覚える部分もあったりします。
ただ、総合的に見たときに、自分にとってはプロジェクトベース学習に10年にわたって憧れてきた身としては 、ようやくPBLが、エドビジョン型の本格的なPBLが実現できそうな可能性を感じられるだけでも、好意的に見てしまうのである。
情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア
- 作者: C.M.ライゲルース,J.R.カノップ,Charles M. Reigeluth,Jennifer R. Karnopp,稲垣忠,中嶌康二,野田啓子,細井洋実,林向達
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まあ、この「未来の教室」についての経産省のリーダーである浅野氏の話を実は直接二度ほど聞いていることも大きい。非常に教員や学校に対して丁寧に話そうとしていること、教育側の蓄積について大切にしようとしてくれていることなどが分かり、好感がありましたし、何よりも描いているビジョンの大きさに「ワクワク」するのである。
次の浅野氏の言葉も、自分としては共感するビジョンなのである。
EdTechを通じてひとりひとりに個別最適化された新しい『学び』のカタチが、何年生で何を学ぶといった学習指導要領で決められているようなものをガラガラと壊していくかもしれません。
簡単にはいかない。卒業をどうするのかという問題もあれば、学校が今抱えている役割のうち、切り捨てられないものもあるからだ。このビジョン自体が実現するとしたら社会構造自体も一緒に変わらなければ無理だろうとも思う。しかし、夢見るくらい、いいじゃないか。本気で出来るかは……自分が関われることではない気がする。
どんな姿であっても
学校がどんな姿であっても、授業がどのような形であろうと、最後は生徒自身に何を残せるのかということを問い続けなければいけないのが、教員なのだろうと思う。現状の議論では、授業の方法なんて好き嫌い程度の話である。ただ、「何を保障するのか」ということについては、責任を逃れられないだろう。
たまたま卒業生と話す機会があったが、「高校生活で今の大学生活に役立っていることはなに?」と聞いたところ「嫌いな授業でもちゃんとやることで忍耐力がついたこと」と笑えない答えを真面目に返してきたこともあって、頭を抱えたところである。
勤務校の抱える問題ではあるのだけど、比較的、多くの現場のあるあるではないかと思うのだが……。
まあ、自分の場合は「高校」および「中高一貫」という視点でしか考えることは出来ない。今いる立場がそういう場所にいるから。もちろん、小学校の学習指導要領も読むし時間さえあれば幼児教育に関わるようなものだって読む。しかし、読んだところでそこにリアリティはなく、ものを考える時に反映できるかと言われれば相当に難しい。
だから、大局的なビジョンを描かなければいけない人にはなれない。が、自分の立場でみえることはきちんと言葉にしたいし、ちゃんと考えたいところである。
おまけ
タイミングよく、こんな記事が出た。
合田氏の「これまでの教育は、自分の頭の中に知識のタワーを築いて、それを誰にも渡さないという学習スタイル」*5という言葉や浅野氏の「正解にたどり着けなければ「試行錯誤」を繰り返し、どろんこになってでもタッチダウンする粘り強さ」という言葉には共感するところも多い。
重要なことは、省庁の垣根を超えて、議論を重ねているという事実だろう。
「教育」はインフラとして、セーフティーネットとして、生産性では語れないような役割を持っていると言えるが、一方で身動きを取りにくい部分があるからこそ、教育に関わる色々な人がそれぞれの場面で挑戦できることに挑戦していくことに意義はあるだろう。
なお、「未来の教室」についての最新情報は、Facebookページが速いので、ご興味があれば、ぜひご確認ください。
https://www.facebook.com/METI.learninginnovation/
*1:もちろん、それがどのような形で何に取り組むべきかということは、今この場で即断できるほど簡単な問題ではないので、答えは保留なのだけど…。
*2:難しいことに「パッケージ販売」されてしまうと、プロジェクトベース学習の一番本質的なところが損なわれているような気もして……ちょっとこのあたりの落としどころはどうすればいいか分からない。もう少し悩ませてほしい。
*3:本文だと「『経験』『勘』『気合い』の『3K』で授業を行っている」と言われてしまっている部分に対するアプローチは重要だと思うが、まあ、難しいよねとは色々なものを読んでいて思う。例えば、ハッティが話題になりましたが、あれだって使い方間違えるとまずいと前書きで相当注意深く筆者本人が言っていますし。参考:『教育の効果: メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化』
*4:文法教育…こと学校文法についてなんて文学以上に「意味があるのか」と言われやすいのである。
*5:この説明がいいなぁと思うのは、知識そのものの否定ではなく「知識を渡さない」ということに対する批判をしていることや知識を「タワー」ととらえるのが現状の学力観だと暗に述べていることだ。