まだまだ引っ張るよ!!
授業づくりネットワークNo.33―あなたの授業を変える12のポイント (授業づくりネットワーク No. 33)
- 作者: ネットワーク編集委員会
- 出版社/メーカー: 学事出版
- 発売日: 2019/08/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今回は特集テーマの二つ目の「協同」からです。
アクティブ・ラーニング、主体的・対話的で深い学びと「協同」は切り離せない概念だけに、丁寧に読みたいところです。
「協同」のコツ
②協同で学ぶの一本目。pp.30-33の阿部隆幸先生の「「対話のススメ」〜技法から考え方へ〜」 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
p.30 「協同」を考えるとき「協同をさせていないか(強いてないか)」と考えることが大切。協同の上位概念としての主体性。自ら考えて自ら行うことの大切さを伝えながら「協同体験」することで「協同する」人間になっていく。/あらゆるALのスタートだよなあ。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
授業という場は「強制」とは切っても切り離せない部分がある。だからこそ「協同させる」ということに対して警戒しなければいけないと思う。実際に、やってみて良さが分かることもあるし、苦戦することもある。苦手だと直面することもあれば、克服できることもある。「強制」ということに警戒しながらも、強制されたと嫌にさせないために何が必要かをよく考えたいところだ。
p.31 協同学習を説明する時、単なる学習者に丸投げのグループ学習ではないと言い…。/ここはどう考えても前提なのに、ALやる側も陥りやすいミスだし、批判する側も意図的にALを丸投げのようにいうのもなんだかなぁと思うことは多い。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
丸投げのALは強制にしかなりえないし、不満も多いだろう。
自分が研修に出たときに某B社などが、脈絡もなくいきなり周囲と話し合えとやるのは、まさにこの典型で嫌になる(笑)。必然性がないのに協同はさせられたくなんてないのは大人も同じなのである。
逆に言えば、必然的に他者が気になる、自分のことを聞いてほしいという文脈があれば、協同せよという指示の強制の色合いは薄まる。
p.32「教師は協同学習のアクティビティや技法ばかり目が行ってしまって、その結果、子どもたちが協同する姿を見ることに安心を得てしまうと危険です…学校社会では結果を目に見える形で示すことを焦るあまり手段が目的化してしまう」活動あって学びなしにならないこと大切 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
活動していればよくやっていたと授業者も参観者も言いがちなんだけど、そう甘い話でもない。
p.33 学校、学級における「同調圧力」の問題。そして、同調圧力に流されることは思考停止になるし、問題にもつながっていく。日常の中での会話の必要性。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
子どもたちは、子どもたちなりの複雑な人間関係のなかを生きているので、協同というテーマを扱う時に同調圧力は気になるところ。自戒を込めて言うが、この同調圧力を見込んで、活動を考えるようなこと、教員には少なからずあるような気がする。だからこそ、「同調圧力は思考停止」という指摘はなかなか痛い。
誤解がないように付け加えておくけど、積極的に同調圧力で生徒を操作しようなんていうのは自分は好みではないです。ただ、そういう下心を無警戒に自分がやってしまっていないかという反省は必要だよなぁと思うのです。
②協同で学ぶの二つ目。山田洋一先生の「協同学習を成立させる要素」pp.34-37 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
pp.34-35 協同学習を成立させるための要素として「フレーム」「ラポール」「ビジョン」の3つをここではあげている。「フレーム」は「どのように学習を進めるか」に関すること、「ラポール」は「学習するメンバー同士の信頼関係」のことに当たる。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
p.35-36「ラポール」は協同学習で必要なものであり、協同学習で形成されるものでもある。リフレクションの有効性。「喜び」こそリフレクションで共有されるべきこと。子どもが協同して学ぶ姿を期待するなら、協同学習の仕方と喜びを教え、感じさせることが大切。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
学習者中心であることは、地道に学級を学びの風土として作りあげることであるし、学力をきちんと保障することである。
どのように力をつけることを保障するのか、そのために必要な集団をどのように作るのか。生徒を見るということの重要性は色々なところで感じるわけだが、相手が一クラスでも40人いるわけだけど、この人数の多さはやはり難しさを感じる。
マンパワーの力技で見ていくこともできるだろうけど、持続可能性が怪しい。だからといって、生徒の自己評価に委ねるのも丸投げであるし、踏み込まない評価では生徒が見えない。
特集③ 自立
三つ目のテーマは「自立」。高校生を相手にしていると、入試で選抜されていることもあって、あまり気にしなくなってしまうなぁと反省。
③自立した学び手を育てる の一つ目は小国喜弘先生の「自立した学び手を育てる」pp.38-41 インクルーシブの観点から自立の概念の問い直し。相互に依存し合う関係の中での「自立」を主題化するならば、我々が教室で育てるべきは「分からない」ときに聞けるような力 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) August 5, 2019
障害者運動を参考にした論考。 pp.39-40 友達の手も借りながら、知りたいこと・分かりたいことを追求し得る子どもを育てることを「自立した学び手を育てること」と考える。そのためには、援助を求めやすい環境をつくること。丁寧に困り感を掬い出すこと。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
p.41 自立した学び手を育てるために学び方を自分で選択し得るようにすることは、子どもが自らの学びを深めるために依存し得る対象を拡大していくこと。「自立」を狭義に捉えることで疲弊してしまう。「自立」によって学校を子どもや教師に生きやすい場へ。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
学校が嫌なもの、服従させるもの、適応させるものって発想に陥る人は多いですからね。頼れる相手が多くなることで生きやすくなるという発想は必要かと。生きにくいことが正当化される理由などないわな。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
高校の先生の必殺技「義務教育でないからルールを守れないなら来なくていい」は、耳にすることがあるんだけど……そういうものではないのでしょう。
できないもの、適応できないものに対してどのように折り合いをつけることを学ぶのも学校という場所であろう。
③「自立した学び手」の二つ目の論考は保育園の現場からの提言。モンテッソーリ教育。矢代貴司先生の「幼児教育の現場から考える自立と自由」pp.42-45。幼児となってくると、もはや自分には異質過ぎてわからない…。ただ、間違いなく、こどもに寄り添うことのプロだ #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
pp.43-44 こども達に柑橘類を出会わせた時に数を数える活動を引き出す。子ども達のことをよく分かった大人が、こどもと素材を出会わせたときに起こることをワクワクしている様子が描かれている。モンテッソーリ教育のシステムで自由に子どもが学ぶ姿。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
p.45「選ぶ」トレーニング。現代の子どもが指示されることに慣れてしまい「自由にやってごらん」と言われて困ってしまう。「選ぶ」にも練習が必要。子どもの周りにいる大人の子どもへの影響は大きい。主体的な学び手を育てたいならば、主体的な学び手であることが必要。 #授業づくりネットワークno33
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月5日
モンテッソーリ教育は少しずつ注目されていますよね。ただ、自由に放任するではないのです。
子どもから始まる新しい教育 (国際モンテッソーリ協会(AMI)公認シリーズ)
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「自由にやってごらん」のために「選ぶ」練習。
子どもたちにどのように自由に対する信頼度を培っていくのかは、モンテッソーリ教育でなくても、普通の教室で当たり前に保障しなければいけないなぁと思うのです。
「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス)
- 作者: 苫野一徳
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