Twitterで軽くつぶやいていた感想をまとめました。
Twitterでつぶやいたこと
届いたので読む。小一時間も有れば読めるだろうか。 pic.twitter.com/AH4kzAzfIQ
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
緊急出版だけあって、見開きで1ページなのね、どの記事も。読みやすいとも言えるし、物足りなさも感じる。よくここまでバラエティに富んだ記事を集めたなぁという印象。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
夏休みの間にきちんと読んで授業に活かせるタイミングでの出版はよかったと思います。よくぞ、このタイミングでこれだけのバラエティに富んだ原稿を集めて出版にたどり着いたなという印象です。
例によって高校は蚊帳の外なのね… #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
高校も欲しかったよ……。どんな工夫しているかということも、高校のことはなかなか伝え聞こえてこないので。かえって高校くらいになると何でもオンラインで大学生と同じような授業展開になっているのかな。
指導スキル編については、校種の違いが難しいと感じられるが、それでも汎用性のある技術が多い。ただ、何が「With コロナ」なのかは自分にはよく分からない。一つ一つの技術は優れているので授業のワザとして参考になるだろう。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
指導スキル編のコンセプトは、中村先生の提言からも分かるように、基本的は発想は「リカバリー」なのだなと思う。もしくは、今まであったものの「代替」の模索。それはそれで大切なことでしょうけど、「withコロナ」なのかは自分には判別しかねる。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
「Withコロナ」って、これまでのやり方を代替したり工夫したりすることで折り合いをつけることをそう呼ぶのだろうか。この辺りの価値判断は自分には今はしかねる。道具も何も揃わない状態で大幅な変更を期待しても厳しいと思うし、現場の疲弊ぶりを見ると、ちょっとした創意工夫での対応も十分に意味はあるとは思う。
chapter2の提言は、東京学芸大の細川先生。教育現場の現状の紹介と今後に備えて何をするべきかの提言。旧態依然とした「教え込み」の逆戻りしてしまう事への危機感が見て取れる。第二波への備えとしてのオンラインの活用と、そのための準備を述べる。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
わざわざリスクを承知の上で、アナログの交流の場を準備することを提言していることは注目しておいて良いだろう。国語科にとっての「交流・共有」の意味を考える必要はある。オンラインの活用については紙面的に「触れた」くらいで終わっていて口惜しい。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
chapter2は「with コロナの「学び合い」授業プラン」で、同じ単元について「before」コロナと「with」コロナで対比されて書かれているのは面白い試み。まあ、見開きで1ページなので、物足りなさの方が大きいけど…。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
chapter2の実践はどれも基本的には現場の苦労がよく分かるなぁという印象。「あるある」とか「わかる」とか感じて読むものである。ただ、これだけ多くの実践が掲載されているのだけど、基本は「これまでの授業を何で置き換えるか」という話なのですよね…。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
現場の苦しさが分かるだけに、紹介されている実践の背景にある苦労を勝手に想像して苦しい気持ちにはなる。とはいえ、やはり「置き換える」という発想だけで、本当に今後やっていくことができるのだろうかという気持ちが大きい。
長くなれば長くなるほど、授業数の問題も、何を教えているのかという問題も顕在化してくるし、決して前向きな理由からではない「代替」でやっていけるのだろうかと思うのである。これまでのやり方で成立していたものを、ただICTに置き換えても、それはそもそもツールとしての設計思想の違いがあるのに、勿体ないことをしているのではないか。
これでいいのか、次のchapter3がアイデアだから。
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
chapter3の提言は都留文科大学の野中先生(@nonakajun)の提言。ここまでのchapterが「これまで」の枠をどう折り合いをつけるかという話であったのに、いきなり「これから」に話が跳躍した感じがする。そして、このタイトルの本で読みたかったのはこういう話だなぁ…。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
chapter3から一気にICT活用という話が全面に出てきます。もしかすると、chapter2までを「withコロナ」とするならば、chapter3は「afterコロナ」の話と言えそうだ。
そしてchapter3に入ってどの実践も一気に話がゴリゴリのICT活用になっている(笑)。chapter2までがどうしても「道具もねぇ」「余裕もねぇ」「勉強する時間もねぇ」という学校への処方箋になっているのに対して、このchapterからは「学力つけるなら何でもあり」になっている #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
いや、ツールの問題じゃないんでしょう。もう思想から違いがある。アナログだろうとデジタルだろうとどちらがエラいというわけではない。デジタルの方がやれることは多いけど、そもそもアナログな発想の授業を取り戻そうとするなら、そういう使い方しか出てこないよ。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
#withコロナの国語授業づくり という本を出すならば、chapter3のような話がもっと多くあって欲しかったな。chapter2までの話はやはり「リカバリー from コロナ」であって、やっぱり「新しい授業様式」(笑)ではないので急場しのぎにはなるので必要な話だけど、分量としてはもっと減らして良かったかな
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
まあ、そう思うのは自分がゴリゴリのICTを使いたい人だからではあるだろう。そして、教科教育のコンテンツそのものにもそこまでこだわりがない(横書きの漢文でもへっちゃらな感性)のもあるのかもしれない。ICTを使うことで、扱う素材すら大きく変わるでしょう? #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
感想のまとめ・補足
まずは、この時期に発刊されたこと自体に意味があるかなと思う。悩んでいる人は多いだろうから、何をまず保障しなければいけないのかを考える補助線としてよい一冊だろうと思う。
ただ、一方で物足りなさも感じるのである。
メインは混乱の中でどのようにしのいできたかという話であり、これからどうするかという話とはやや言い難い。
この2020年の混乱の記録としての意味が大きいと思うし、路頭に迷っている人への処方箋としての意味はあるだろうと思う。ただ、まだ、本格的にやってくるはずの、長期にコロナと向き合っていく「withコロナ」という時代に対応できるのかは疑問である。超長期戦には、これだけでは心許ない。
だから
そんな訳で、もういっそのこと「afterコロナの国語授業づくり」って本を一冊出してください(笑)。 #withコロナの国語授業づくり
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月12日
こんなところでどうでしょう?