世の中は連休に入ったようですね。学校が休みになって一週間が経ち、少しだらけてきた自分がいる。
マンネリしながらも読書
休みに入る前にやろうと思ったことは、ほどほどにしか進捗しないけど、積ん読は山ほどあるので、消化していく。
再読。何度読んでも非常にすっきりとした気持ちになる。「古今集」について、非常に明晰な分析と共に豊かなイメージをかき立てる説明になっている。和歌に関する理解は、自分はまったく教養が無いので出来ないのだけど、他の解説に比べても明らかに「わかった気」になれる本である。
「こころ」と「ことば」と「型」をどのように扱ってきたのかということに、国語科の教員として、たぶん心が動かされるのだと思う。
まぁ何が優れているのかを解説しようとするには、自分の文学的センスが足りなくて厳しいので、古代歴史文化賞の公式サイトの評を引用して紹介しておく。
「こころ」「ことば」「型」という3つのキーワードをもとに、『古今集』の歌、歌集全体としての特徴を読み解こうとする。特に選者であり、歌人でもある紀貫之の役割を重視し、歌の「配列」に着目する点は、『古今集』研究に長年にわたって取り組んできた著者ならではといえる。単なる注釈書ではない、『古今和歌集』の世界に読者を導く書である。
(2020/08/13 17時確認)
毎日新聞の書評にも出ているようですが……自分はアクセスのしようがないので、アクセス出来る方はどうぞ。
何で買ったのかよく覚えていないが積んであったので読む。たぶん、ホームルームの話術の研究のために買ったような気がする。
ペップトークとは簡単に言えば、相手を受容し、前向きに背中を押すための話し方の方法である。
学校で、担任なんてしていると、どうしてもネガティブなことを年中生徒に向けて朝から発しているような気がする。だからこそ、こういう言葉の使い方を変えることで、生徒を鼓舞したいと思う気持ちはある。
発想としてはまさにこちらに近い。理論編としてはこちらの本を読んでおくと良いかも。ブログを見直すと定期的に、この手の教員の言葉遣いの話はブログに書いているのだな…。
帯の書評者以外には文句のつけようのない一冊である。
犬塚先生の論文は色々とお世話になっています。自分の興味関心にも近いので目にすることが多いのです。
この本の中でチクリと「先生はもっと読解方略をはっきりと教えるべき」というような内容が書かれていますが、おっしゃる通りでございます。……日々の授業に追われていると、体系的な方略の指導という観点が喪失されやすいのに、本当に反省です。
東工大のリベラルアーツ関連の先生方が書かれている「大学で学ぶ意味」の本である。非常に岩波ジュニアらしい一冊で、教養を匂わせながらも堅くなりすぎず、中高生の関心をかき立てるような書きぶりになっている。こういう本と生徒をどう繋ぐのかというところに、高校の教員の専門性があるのではないかと思ったりする。
似ている本としては
こちらの本の方が「学生ウケ」しそうな気がするし、悪くないのだけど、大人の視線からすると『新・大学なにを学ぶか』の方が生徒には伝えたいことになるかな。
『新・大学なにを学ぶか』を読んでいて思い出して読み直したのが
このブログでも何度か紹介しているけど、学ぶことの意義や挑戦することの意義が語られる本であり、個人的には好きなのでよく生徒にも紹介する一冊である。
こういう気持ちが前向きになるようなことを、日々の生活でどれだけ語れているか……いや、語れていないのだろうなと思う。だから、時々、こういう本を読んで心を動かされて、活力のある姿に戻ってこようとしているのだと思う。
授業研究関係も読みつつ…
一部を読んで積ん読になっていたので、さらに詳細に読んでいるところ。授業案などはよく書き込まれているので非常に展開も分かりやすいと思う。授業作りとしてそのまま持ってきても十分に効果がある一冊だと思う。
ただ、一方で、問いだけで授業に深まりが生まれてくるのだろうかという疑問がある。たぶん、本書で提案されている質の高い問いを生徒に投げかければ、かなり面白い議論が展開されることが期待される。
でも、問いを投げかけるだけで大丈夫だろうか。本書の問題ではなくて、教員が生徒の議論に伴走していくとはどう言う技術なのだろうかということをふと思うのである。
ちなみに、同じ「質問」であっても、QFTとは思想的には全く逆だろうなぁと感じる。
QFTが生徒自身が問いを作り、洗練させる過程に重点を置くのに対して、こちらの本は教員の緻密な「教材」研究に基づく問いの洗練と深化によって、授業全体をデザインして、生徒の読む力を豊かにしようという試みに見える。教員の技術としての「問い」という側面が強い印象である。
とはいえ、QFTだって、質問の焦点を設定するに当たって、教員が素材に対してどのような問いを持てるのかを相当に考え、そして仕組んでいくのだから、教材研究の力が軽視している訳ではない。
比較すると面白いですね。
こういう本も最近、発売されたので……後で買って読んでおこうか。
二学期からも「問う」ということはやはりテーマだろうなと思う。コロナとなって学校にいることが当たり前でなくなったときに、生徒自身の「問う」力の差は学びに大きな違いを生み出しているのではないかと思うのである。
自分から問うとはどういうことなのか、なぜ問わなければいけないのか、そういうマインドセットを伝えていく必要があるのかなと思う。
しかし、問うことによって、生徒にとっての負荷になることはいくらでも考えられる。端的に言えば「面倒くさい」ことになるのである。しかし、その面倒くさいこととどう付き合えば良いのかということまで含めて、学校で取り組んでいく必要があるのではないか、とそんなことを思うのである。