ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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私と学校のICT

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GIGAの話題で世の中が騒がしい。clubhouseでもすっかりGIGAの話題を多く聞くなぁという感じである。

そんな時に、ふと自分がなんでこんなに最近、ICT、ICTとばかり言っているのかと思い、いつからICT教育について考えていたのかなぁ…と遡ってみた。記録はEvernoteに入っているのである。

自分のスタートは2015年ごろ

基本的にガジェット好きであるので、授業で使う云々は脇に置いても、この仕事を始めた当初から、自分の仕事を便利にするためにスマホやらは好き勝手に使っていたのだけど、授業での活用は働き始めてしばらくしてである。こんなんでも、働き始めて数年は大人しくやっていたんですよ…。

そんなわけで、「一人一台」という発想を得たのが、働き始めて数年目の2015年のことだったと記録が残っている。縁のある学校で一人一台を始めたという話を聞いて「そうなのかー」みたいなことでチョボチョボと調べ始めたという記録が残っている。

まあ、自分の勤務校のガチガチの体質を考えるととてもじゃないけど一人一台なんて行かないよなぁなんて思っていた。そもそもWi-Fiを入れる金なんて出ないよなぁと現実に諦めていた。

自分が結局、ガジェット好きだから粛々と自分の好きなことを調べていた。そして、その年の年度末に某学校で「一人一台」の公開研究会があるというので、出かけていって実際に一人一台の学びの凄さを見てきたのです。

そこからは割とずっとICTを何とかしよう!一人一台やったら凄いですよ!って話をし続けているようである。

このブログのICTの初出

ちなみにこのブログで最初にICTについて書いたのはこの記事。

www.s-locarno.com

この記事を読むと「「文房具」のように使うという発想は大切なのかもしれない」と今とあまり変わりの無いことを書いているね。

まあ、今ほどラディカルに自由に好き勝手にやればいいじゃんというノリではなく、両論併記的な配慮をしていたという気分が透けて見える(が、心の中では全く動かない状況にイライラしているのも、自分だから分かるw)。

タブレットを生徒に「学習用具」として与えるのであれば、ある程度の自由は与えなければだめだろうなと思う。ほかの学習用具を授業以外で取り上げたり、使い方を制限したりしないのと同じだろう。

ゲームをしたりネットばかりするのは問題に見えるかもしれないが、一方で、機械の操作の習熟などのためには、それなりに意味があることだろうし、教員の目の届く場所で「失敗」してもらってこそ、指導の可能性が生まれるとも思う。

五年くらい前からこういうこと言い続けているのに(以下略

そうして実際に一人一台の授業を見に行ったり。

www.s-locarno.com

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まあ、GIGAなんてどこにも無い時代に、コツコツとやっていたものです。この頃から「G suiteが欲しい!」とか「ロイロって凄いですよ!」とか「使えば考え方が絶対に変わりますよ!」とか騒ぎ続けていたように思います。

そして、自分も授業で資料をスマホで使ってみたり……していたら怒られるなどして過ごしてきた訳です。

念願叶ってオンラインが市民権を得た

かれこれ5年くらいずっと騒いでは叩かれ、騒いでは叩かれ…を繰り返してきて、やっとこうしてICTで授業をしているのが当たり前になってきた。

コロナがなければあと3年は待たされたように思う。GIGAスクールで上がってくる中学生が高校になるから対応を考えよう……のようなノリでのろのろとやっていたんだろうと思うのである。

そう考えると自分は運が良いかもしれない。ICTを使いたいと思って、ゲリラ的に地下に潜ってやり続けていたけど、数年でその価値を認めてもらい、使ってもよいとなったのは、これから色々なことが出来るチャンスなのだろうと思うのである。

この本が出た頃にはまったく自分がICTを自由に教室で使えるとは思っていなかった。

でも、こうしてシリーズの2冊目が出る頃には、すっかりICTを自分も教室で使えるようになったのだ。これだけの短期間で状況が激変したのだから、運が良いのだ。 

未来の教室

忘れていたので追記。EdTechで衝撃を受けて、考え方が大きく変わったのは未来の教室である。

 

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これもなぁ…無駄に学校に嫌われている気がする。人材って考え方は嫌われるのも分かるんだけど、割と、話を聞いていると「子どもたちを良くしよう」という熱意は本気だと思うんだ。もちろん、その「よく」の方向性に疑問がある場合もあるだろうけど、口先だけの介入で清貧を押付けられるよりも、清濁を併せて、危険性を自覚しながらも、ワクワクと出来るビジョンには乗っかってもいいんじゃないかと思うのです。

やっぱり、キレイゴトとヘリクツを並べられて、色々なやりたいことを我慢してきたなあと感じる身としては、やらせてくれるなら多少の不都合は飲みたいという気持ちも無いわけではない。

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