ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

派手なICT活用には興味が無い

ICTを授業で使い始めたら、ICTなしの授業は考えられない最近です。端末を使わずに授業しろと言われたら、もう無理です。今、端末を使ってやっているほどのクオリティの授業ができません。

ただ、自分の活用の仕方を振り返ってみると、あまり面白いことはやっていない気がする今日この頃。誰でも真似できることだとか楽しくて子どもたちが喜んでやる、みたいな鉄板ネタはついぞ思いつかないでいる。

ICTに対する自分の変化もある

このブログでも7年前からICTと教育の関する記事は何度も書いてきている。

7年前は随分と自分はのんびりとしたことを言っているので、今だったら後ろからどつき倒します。

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でも、言い訳するなら7年前から「日常的に使った方が良いだろうな」と言っているのは、今でもそれほど外れたことを言っていない(と思いたい)。7年前ではICTに関する学校での制約の厳しさでニッチもサッチも行かなかった時期だもの…。

それでも個人的には6年前からクラウドを使ってなんとかBYODで授業を脱法的にやっていたのはよい思い出。

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一人一台端末が実現できるとは、あまり信じられていなかったころは、やっぱり弱気な言い方だと自分のブログを読み直して感じる。

この頃にICTをゴリゴリと使っている理由は、自分が好きで便利だからという面が大きいし、生徒たちが学校の外では上手にスマホなどで表現を出来ているのに、授業で使わない意味が無いという発想があったから。あと手書きが嫌い。とにかく手書きが嫌い。

もう少し、国語科教育的な文脈からの発想をするならば、生徒の生活でICTでの言語体験が圧倒的に増えている状況で、高校の教室の言語活動としてICTを使わせないで卒業させるのはよくないだろうと思っていた。生徒が自然にICTを使えるという言説にも懐疑的だったし。

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今も基本的にこの考えは変わらない。

ただ一方で大きく変わったこともある。それは「四の五の言わずにあらゆる場面でICTを使うべき。目的達成のための活用は後でいい」と、とにかく使えと思うようになったことである。

一人一台端末が整備された状況で、使わないという選択肢を選ぶ意味が分からない。7年くらい前のBYODでゲリラ的にやっているときは、目的を選んでピンポイントで成果が上がるように使わなければ、通信量の問題や端末の性能の問題や台数の問題で思い通りに授業はしにくかったけど、今となっては一人一台端末である。やろうと思えば何でも出来る。

ただ、そのためには普段から端末の操作自体に慣れていなければ急に色々はできない。端末に慣れる作業を授業で取るのは時間の無駄だ。日常的に生活のあらゆる場所で使っていくことでだんだんと身につくものである。

「目的」を大義名分に使うのを後回しにするのは本当によくない。

使っていくと地味になる

自分が高校の教室で授業をする時には、あまり見た目だけが派手なことには興味が無い。校種によっても活用の事情はかなり異なるのであまり一般化して話すつもりはない。そして具体例を挙げて話すと角が立つので例も挙げて話さない。

ただ、派手なことは導入の時期に一過的にやることは否定しないけど、やっぱり慣れてきて、日常的に使うようになると、どんどん使い方は地味なると感じている。

授業と日常で端末を使い続けていると、わざわざこちらからツールを指定する必要がなくなってくる。例えばCanvaを使って何かを分類して整理するみたいな使い方を教えて、何度か単元で試した後は、授業者で自分からテンプレートを配布しなくても子どもたちは好きなように使うようになる。そもそもCanvaよりもJamboardがよいという生徒もいる(Jamboardはなくなりますけど…)し、いきなりドキュメントに文章に書いた方が良いという生徒もいる。

共同編集などについても、初めは一斉に使わせてみるのだけど、慣れてくるとわざわざ共同編集する場所を用意することもしなくなってきている。授業者として「共同編集したほうが上手くいくのだろうなぁ」と思っていても、そういう設定をしないで任せてしまって問題ない。

なんだかそういうことをやっていると、だんだん使うツールがドキュメントやスライドなどの基本的なツールになりがちだし、必要に応じてCanvaなどの有名どころを適宜使うみたいな感じになってくる。

逆に、そういう感じに授業での準備が減ってくると、今度は自分の方でEdpuzzleみたいなツールで生徒の自己学習ができるようにするための準備に時間を割ける気がしている。

SNSを賑わせているような実践例がすごい手間がかかって派手だなぁと感じることが多いのだけど、自分はどんどんと地味になる。

発信できる情報は「単元の課題を設定すると生徒がドキュメントなどにアイデアをまとめて、最終的なアウトプットを考えます」としか言えない。

これはもう性格なのかもしれない。わかりやすく面白い授業ができないのだなぁ…。

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