ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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国語科の矜持

本日は茗荷谷まで遠出。日本国語教育学会の中学校部会に参会。

シンポジストに甲斐利恵子先生(東京・赤坂中)、児玉忠先生(宮城教育大)、鈴木一史先生(茨城大)を迎えてのシンポジウム形式のイベントでした。

個人的な知り合いにも何人かあって、久しぶりにご挨拶などできて充実していました。

イベント記録……を書く気にならない

このイベントの内容について詳細な記録は……色々と最近の国語界隈に食傷気味なので書く気になれない。自分のFacebookの方に書けばいいかと思考が内向きである。

分かる人にニュアンスが伝わればいいやというくらいでしか今回は書かないし、具体的な内容を書く気もない。

本日の部会は安居總子先生がはじめと最後に展望を述べられていたが、その言葉が非常に厳しく、空気が締まっていた。そういう厳しさを持ちながらも、子どもに対する温かいまなざしを持ち、精一杯伸ばそうとしている先生方がこれだけいる。

一方で苦しんで行き詰った現場もあれば、問題意識もないで表層を流すだけの現場もある。

その分断が大きいわけだが……それでも地道によい授業を、課題を見つけて取り組んでいる人たちの存在を軽く見るようなことはあってはならないだろう。

まあ……そもそも国語科の中で中学校と高校の分断もあったり……色々と苦しい。自分は中高一貫だが、普段は高校生しか教えていないので、中学校の授業がよく分かっている訳ではないけど……もっと高校の授業に中学校で何を学んできたかを知ったほうがいいよなぁと思う。

その意味でも、「中学校編」とはなっているけど、国語科に関わるなら以下の本はやはり必読です。

中学校 国語授業づくりの基礎・基本 学びに向かう力を育む環境づくり (シリーズ国語授業づくり)

中学校 国語授業づくりの基礎・基本 学びに向かう力を育む環境づくり (シリーズ国語授業づくり)

  • 作者: 安居 總子,甲斐 利恵子,日本国語教育学会
  • 出版社/メーカー: 東洋館出版社
  • 発売日: 2018/08/09
  • メディア: 単行本
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国語科で何を教えるか

本日のシンポジストの方々は明確な問題提起がありました。

結論だけ述べるのであれば、易きに流れては夢中になることもなければ成長することもないのである。子どもも、教員も。

誰でもスーパーな先生になれるわけではないけど、簡単なことをしていては何も得るものはない。安居先生の言葉に「気迫」というものがあったが、どれだけ授業に対して、子どもに対して向き合う時に、「気迫」があるのか。

「言語生活」を豊かなものにするという言い方に集約されるような、広汎に及ぶ国語科の役割に対して、どれだけ「気迫」を見せることができるか。

でも、甲斐先生が「子どもの様子を見取るための手控えを作っているときが一番楽しい」と言っていたように、本当に子どもと向き合った時に見えるものは、苦行としての「気迫」ではないのだろうな。

現場に学ぶ・先達に学ぶ

現場を持っている人の最大の強みは、目の前に子どもがいることに他ならない。

本気で難題に取り組み、成長して喜ぶ子どもの姿を見たら、授業づくりの工夫をやめることは出来なくなる。逆に授業が上手く行かないときに、子どもたちが教えてくれることが非常に多いのだ。

そういう多くの子どもの成長を見てきた先達の子どもの見立ては非常に鋭い。職人技といって過言ではない。同じ現象を見て、全く異なるものを見取っている。およそ、自分があと二十年はたらいて身につけられる気がしないくらいに鋭い。

院生のころにはそのあたりをちゃんと分かっていなかったが、自分で授業するようになると先達の見ているものの質の高さに驚かされてばかりである。

たぶん、そういう「観」や「勘」は先達の姿から学ぶものだろうと思う。『中学校 国語授業づくりの基礎・基本 学びに向かう力を育む環境づくり (シリーズ国語授業づくり)』の中で「師を見つけること」を強調していた意味もそこにあるだろう。

一方で、理論研究を突き詰めることの意味を感じる。児玉先生の提案も鈴木先生の提案も子どもの姿からだけでは出て来ない発想である(お二人とも現場経験者だけど)。

当然、国語科教育研究の実践としても洗練されてきたものも数多くある。

学ぶべきものは多くあるのだ。

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