今年度から新しい観点別評価が動いています。だいぶ混乱しているようですが、今月に入ってよい書籍が出ています。
明治図書が気合いを入れている
困ったときの明治図書と言わんばかりのシリーズ化。
コンパクトに現場が欲しい情報を分かりやすくかみ砕いて説明し、実例や実践例を紹介しながら書かれている。
さすが明治図書という感じ。もちろん、もともとあるものをそれぞれの実践者の学校や教室の実情を基に作られた実践や規準であるので、自分の学校に落とし込むためには勉強や議論が必要だろうと思う。
コンパクトでわかりやすいとは言え、最初の概説の部分は抽象的であるし、これまでの授業の展開ではイメージしづらいだろう。
今回の評価の改善の話が、授業改善とセットであるという話がなかなか浸透しないせいで、授業を変えないでそのままにしておいて、評価だけ木に竹を接ぐような設計をするので無理が出る。
嫌味なことを言うけど、教員のための授業や教員のための評価づくりではなく、生徒の学びの質の改善や行動に繋がるように評価を設計せよという話なので、本気でやろうとしたら自分の授業をゼロベースで見直すことになるので、なかなか大変だ。
国語の授業づくり
今月の『教育科学国語教育』がまさに新3観点に合わせた、評価の改善に対応した学習プランの特集である。なかなか普段以上に厚みのある特集だ。
今は小中だけど……高校も次年度から年次進行で観点別評価が入ってくることを考えると、明治図書さん!高校の特集もぜひやってください!!書いてくれる人を見つけるのが難しいかもしれないけど、ぜひ!ガンバッテ!!
余談
評価と授業改善の話をしようとちょうど思い出したのは、当ブログにこんな感想をもらい、過去記事を読み直したからだ。
読む。買う。この方のブログは本当にありがたい。自分の不勉強を実感する。 https://t.co/cE48SDIAUd
— トレボtrevo (@trevo4ubr) 2021年6月8日
この記事を読んでいて、こんなことを書いていたことを思い出す。
甲斐先生が「子どもの様子を見取るための手控えを作っているときが一番楽しい」と言っていた
国語科の矜持 - ならずものになろう
評価の改善について考えることも、授業を作り直すことも、労働環境からすれば最悪にブラック化に拍車をかける一因である。文句が出るのも当然だし、出来ないと反発するのも当然だろう。
それでも、だ。
授業を作るって単なる労働じゃないと自分は思いたい。
確かに教えるということ、授業をすることで賃金をもらい、また、保護者からは学費をもらっているわけだが、それは厳然たる事実で生業であることには違いないのだが、生産性だとか効率だとかを考えて、効率よく糊口をしのぎたいとは自分は思わないのだ。
子どもたちの学びを見たい、授業の可能性を探りたい、そういう願いがないなら、こんな仕事やってられないのだが……。
評価も自分の授業に対する責任ではないのか?説明する気が無い、改善する気が無い、そういう授業でいいの?