ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

評価の温度差

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高校の観点別評価が始まろうとしているため、ベネッセなどをはじめとして色々なところで評価に関わるイベントを開催してくれている。

イメージだけではわからない

そういうイベントをマメに確認していると、勘所になるところはだいたいどのイベントでもくり返し出てくるので、なんとなく大切なことは分かってくる。

もちろん、分かりやすい本が多く出版されているので、それを読むことで理解できるようになると思う。

この辺りの本を手に取って読んでもらえれば、だいたい共通する概念は「ああ!これか!!」と納得いくようになるだろう。

それは豊富な授業実践例を通じて、授業の具体的なイメージが持てることが大きいように思う。

しかし、厄介なことに、学校でまず手に取られる本はこういう本ではない。どちらかといえば、

という比較的、お堅くてイメージがしにくい資料ばかり目にすることになる。

いや、こういうある意味での一次資料を読んでいるならば、よいのだけど下手するとこういう資料をまとめたような伝言ゲーム状態の資料でああだこうだと議論していることもあるので……。

まずは用語から覚えて欲しいと思いつつ…

評価にまつわる用語はかなり多くある。

同じ「評価」という言葉で使いがちなのだけど、イメージしていることが全然違うことが多いのだ。

特に「評定」と「評価」の区別は全くついていないし、「総括的評価」「形成的評価」「診断的評価」なんて話になるともはやサッパリ……という状況である。

確かに「形成的評価」は重要になるのだけど、だからといって、全ての授業で全ての観点について全ての生徒について「形成的評価の記録を残せ!」なんて言う人がいるのですが、「そんな莫大な仕事量ができるかあああああ!」となるのである。

だからといって、「評定がつけばいいのでしょ」って、日常の授業のことを全く見取りをしないで、テストの点数で機械的に観点別に評価と評定を出す……みたいな運用は何もわかっちゃいねぇ!となるのである。

評価に関わる言葉のイメージが厄介なんでしょうねぁ……もういっそのこと分かりやすい言葉に代えた方がいいのではないかと思うこのごろ。

評価なき教育は迷走である。何を教えることが大切なの?何が教えることで保障すべきなのという自分の教科観が試されるのである。

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