ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

思いこみを乗り越えていくために

高校の授業の「評価」をやっと理解できそうな一冊が出た。

高校の国語科の実践を追っている人であれば、渡邉先生と八田先生のコンビにはピンとくるはず!

研究者と実践者が協働して、高校の現場に深く斬り込んだなぁという深い感動があります。

「高校だから」という免罪符

日本のあらゆる学校を知悉しているわけではないのだけど、自分の勤務校や知り合った多くの先生の話から推測されることがある。

それは「高校は義務教育でないから」という言い訳や「高校はやることが抽象的だから」という言い訳が「観点別評価は役に立たないから適当にやればいい」という主張の声が大きくなりがちだということである。

本当に観点別評価の趣旨を考えて、子どもたちに意味のあるフィードバックを返そうと悪戦苦闘をしている先生方がいる一方で、新しいことはやりたくなから適当にお茶を濁そうと始めからしている人間もいるようである。

実際問題として、高校の学習事項は中学校までに比べると格段に内容が難しくなるし、各教科のいずれも抽象度が高くなって、日常的な興味関心からは遠いところにある知識を扱う場合も多い。

そうなってくると観点別評価の導入の時に話題になった「パフォーマンス評価」なんてとても出来ない(これも一種の誤解だけど)という主張につながり、「だから観点別評価なんてできない」という短絡もあるように感じている。

観点別評価については、他にも「三観点を1:1:1で評価するのはおかしい」とか「主観的に評価したら入試に困る」とか「担当者が違ったら評価できない」とか、いくらでもやらないための言い訳と押し付けられたことに対する愚痴が噴出しがちである。

評価の本は難しい

こういう状況に対して問題意識や危機意識を持って「評価」について勉強をしようとするときには実は大きな障壁がある。

たとえば、観点別評価について「誤解」については次の一冊を「読みこなすことができれば」大部分は解かれるのではないかと思われる。

ただ、実際にこの本を読んでみると分かるが、とてもじゃないけど独学で、初めて読んで勉強するためには難易度が高い。

確かに、この本はどちらかというと大学や大学院で勉強したり研究授業をしたりするときに使うような類いの本であるので、実践に即座につながるわけではないので、そういう難しさはある。

では、もう少し難易度を下げて、実際に現場向けに書かれた本が最近は非常に増えているが、そういう本はどうだろう?

 

 

これらの本は近年に発売された「評価」を中心に据えた書籍である。かなり現場を意識して具体性をもってしっかりと書き込まれた名著たちだと言える。

しかし、これらの本であっても、読みこなしていくことはかなり難しい。慣れていないとイメージできない、イメージを誤解するということが原因だと思う。

では、なぜ「評価」にかかわる本は難しく、読みづらいのか?

それは「言葉」の問題なのではないだろうか。

はじめに「言葉」ありき

前置きが長くなったが、『深い理解のために 高等学校 観点別評価入門』について今までの本と異なる大きな特徴を挙げるならば「評価」に関わる難しさの原因の深掘りから始めている点にあるのではないかと思う。

例えば本書の「はじめに」にはこんな記述がある。

しかし「観点別評価」を実施する方針について、読者である先生方に明確なメッセージを受け取ってもらうことは、かなり難しいことでもあります。その理由のうちの最も大きなものは、評定と評価が混同される点にあります。

加えて、評価に限らず教育活動について議論する際には、先生方が使う現場用語、教育行政が使う行政用語、そして研究者が使う研究用語が混在します。

(『深い理解のために 高等学校 観点別評価入門』PP.3-4より)

つまり「言葉」の問題を問題のスタート地点として捉えている。そのため、本書の多くの部分では「評価」にまつわる用語について、歴史的な変遷も辿りながら分かりやすく解きほぐそうとしてくれている。

この丁寧な解きほぐしは、他の本から一歩踏み込んで、意図的に書かれているものであり、冒頭に紹介したような「誤解」や「言い訳」に対してもしっかりと議論できる土台を提供してくれるように思う。

本書を読めば「評価」をめぐる誤解や上手くいかない原因は「言葉」の問題はかなり大きそうだということが実感されるように思う。

ここまで丁寧でも…

正直な書評として言わなければならないが、ここまで丁寧でシンプルな言葉で説明している本であっても、やはり「評価」に関わる議論は難しい。相当難しい。

じっくりと言葉を追いかけていき、必要に応じてノートにまとめながら読めば、誤解なく読めるだろう。しかし、そこまでコストをかけなければ、用語が入り組んでいるために(これは著者の責任ではなく、評価をめぐる用語の現実なのである)、議論を見失う。

逆に言えば、こういう言葉をしっかりと使って、自分たちの普段の授業を意味づけたり、評価したり、改善したりという経験が圧倒的に足りないのである。

だからこそ、しっかりと言葉の表す範囲について理解をすることで、本当の意味で「入門」できるのでは?

そういうことを考えるのである。

 

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