今月の日本国語教育学会の『国語教育研究』(No.613)は「国語科「年間指導計画」の改善」という特集号。
「年間指導計画」については、あまりガチガチに縛られると個人的には窮屈になるし、だからといって雑に書くのであれば無駄な事務作業になるので、塩梅が難しい。そもそも自分の計画性が非常に疑わしいところもあり……。
なかなか他人や他校の年間指導計画の話を聞くことはないので、特集記事としてはどれも面白いところ。
特に、今号では甲斐利恵子先生の「年間指導計画」の立て方が紹介されていて、その内容が非常に実際的で実践的で面白いです。
丁寧な生徒の見取りと計画とはこういうことを言うのだなぁと月並みな感想しか出てきません。ただ、ただ、すごい。
授業の予定が立たない
このGWはやっぱり授業のアイデアが出てこないで唸っている。年間指導計画で授業でやることは決まっているのだけど、単元の展開が決められない。他の担当者との足並みを揃える必要があるのでなまじ年間指導計画がかっちりと決まっているがために、先に教科書の単元があるので、うまく飲み込めないのに授業がやってくる。
いや…結局、追い込まれて直前に単元を作り始めれば、単元が成り立つのだから、さっさとやったほうがいいのだ。自分の違和感で頭であれこれとやるよりも、さっさと授業のためになる資料を探したほうが100倍よい。
わかっているのだけど、気が重くて放置して追い込まれているだけです、はい。
自分はあまりブレーンストーミングみたいなことは面倒くさがってやっていない。こういう作業を面倒くさがって10年やってきてしまったから、今更億劫な感じもするのだけど、今のジリ貧な授業準備を変えるにはちゃんとそういう作業をやらないといけないのだろうな。
生徒の見取りが甘い気がする
授業の単位数が小さい授業を持っている影響で、教えている生徒の数が多い。生徒の数が増えてくると一つの課題を確認することにもかなり時間を取れるし、手控えの数も増えていてなかなか生徒の作品と手控えを一致させていくことも手間がかかる。
そのせいで、自分の生徒の見取りの精度が下がっている気がしている。生徒の実態や興味関心が見えないから、授業がうまく見立てられていないように思う。
観点別評価ということもあってできるだけシンプルに考えるようにしているのだけどなぁ……。
教えて置きたいことはある。でも、どのタイミングで出していくかを間違えると、生徒にはうまく伝わらない。でも、年間指導計画は決まっている。
うーん…。